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【訃報】クレージー・キャッツの最後のメンバー・犬塚弘、死去。94歳。

国民的人気グループ、クレージーキャッツのメンバー、犬塚弘が亡くなった。享年94歳。高度経済成長期に沸いた昭和中期に日本を明るく元気にした国民的人気グループ、クレージーキャッツのメンバー全員がこの世から去ったことになる。

 

犬塚弘は生前「(クレージーは)解散なんかしていません。みんな死んじゃっただけで」と話し、桜井センリ(享年86)の死から11年間、1人でクレージーの看板を守り続けてきたが、天に召されたことで芸能界を笑いで牽引した7人は伝説となった。

クレージーキャッツはもともとコミックバンドで、ドラマーのハナ肇の呼びかけで1955年年に「キューバン・キャッツ」として結成され、犬塚弘はベーシストを務めた。
在日米軍キャンプをまわっていた際、洗面器で頭をたたくギャグが「クレージー」と大受けしたことから「ハナ肇とクレージーキャッツ」に改名。

戦後、日本の芸能界を動かしていた渡辺プロダクションに所属。1959年にフジテレビの開局とともに始まった「おとなの漫画」や1961年スタートの日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」などのバラエティー番組で人気が爆発した。

 

     写真上「おとなの漫画」下:「シャボン玉ホリディ」

犬塚弘…1929年3月23日に東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)生まれ。1951年、兄のハワイアンバンド「グリーン・グラス・キャップ・ボーイズ」に参加。兄から「ベース」を担当するよう言われ、そのまま担当楽器となった。

翌年、友人の誘いで「萩原哲晶とデューク・オクテット」に参加し、モダンジャズを演奏するものの自分の望む方向性との違和感をもち始め、当時たびたび楽屋に遊びに来ていた「ハナ肇」の誘いで、クレイジー・キャッツの前身である「ハナ肇キューバン・キャッツ」の結成メンバーとなり、ウッドベース担当となった。

その後は「クレイジー・キャッツ」の一員として多くのテレビや映画に出演。2020年公開の映画「海辺の映画館~キネマの玉手箱」(大林宣彦監督)を最後に「俳優」としての活動を引退する意思を明らかにしていた。

クレージー・キャッツから生まれたギャグ・名セリフ】
ハナ肇…「アッと驚く為五郎」
植木等…「お呼びでない」(お呼びでない。お呼びでない。こりゃまた失礼いたしました。)
谷啓…「ガチョーン

植木等ハナ肇のような目立った存在ではなかったが、クレージーには欠かせない存在だった。

植木等主演の映画「無責任シリーズ」は高度経済成長期で仕事に追われるサラリーマンたちの共感を呼び「スーダラ節」「ハイそれまでョ」などが大ヒットした。

1970年代以降は「シャボン玉ホリデー」の終了などもあり、グループとしての活動は下火になっていき、犬塚弘も俳優業が中心となった。

いかりや長介加藤茶などのドリフターズは、クレージー・キャッツの弟分の存在だった。クレージー・キャッツを中心としたテレビで育った「クレージー」世代としては、いつかはこの日が来るとは思いつつも「そして、誰もいなくなった」という寂しさがあり、一時代が終わったような印象を受ける。

ご冥福をお祈りいたします。

 

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