「ベン・ハー」(1959)をブルーレイで数十年ぶりに再見した。212分という長尺で、途中休憩(インターミッション)が入る。監督は「我等の生涯の最良の年」「ローマの休日」のウイリアム・ワイラー。壮大な音楽はミクロス・ローザ。
原作は1880年に発表された小説 ”Ben-Hur: A Tale of the Christ(ベン・ハ―:キリストの物語)”と副題あるように、ユダヤ人のジュダ=ベン・ハーがキリストが生誕、受難、処刑される場面に遭遇する前後を描いている。
「ベン・ハー」は、まず1907年に15分の短編のサイレント映画で製作された。1925年に同じサイレント映画で2度目の映画化が実現。この時ラモン・ノヴァロがベン・ハーを演じ大ヒット。この2度目の時にスタッフとして参加したウィリアム・ワイラーが実に34年後に監督として70ミリで撮影し3度目の映画化をしたのがこの作品。テアトル東京でリバイバル公開された1970年代初頭に70ミリ大画面で見た。
主人公ベン・ハーをチャールトン・ヘストン、メッサラをスティーヴン・ボイド、他ジャック・ホーキンス、ハイヤ・ハラリート、ヒュー・グリフィスが出演。チャールトン・ヘストンがアカデミー賞主演男優賞、ヒュー・グリフィスが助演男優賞を受賞し、ウィリアム・ワイラーは、この映画で3度目の監督賞を受賞。
映画は、アカデミー賞史上最多記録となる11部門で受賞。歴代1位の記録はその後の2作品(「タイタニック」「ロード・オブ・ザ・リング」)と共に現在も最多記録である。
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ジュダ=ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)が、自身の館の屋根で新総統の行進を眺めているときに屋根の瓦が誤って落ちたことで拘束され、ガレー船の漕ぎ手にされるが、戦闘で軍艦の指令官を助けたことで、新たなスタートを切り、母親と妹を探すというストーリー。
司令官を迎えるガレー船
司令官を助けたベン・ハーは解放される
見どころは何といっても、戦車競走シーン。今見ても、CGをまったく使わずに迫力ある映像を撮っているのが驚異。
馬4頭で1人用の馬車で競争するものだが、競争相手の中にはギリシャ式戦車といわれるギザギザの大型ドリルのような鋭い回転機械を車輪に備えている。並行して走ると車輪を根こそぎ破壊される威力があり、吹き飛ばされる戦車が続出。そんな中、優勝したベン・ハーは、皇帝の代理人である総統から、名誉の冠を受けるのだった。
母親と妹は、死んだと聞かされていたが、実は「死の谷」で生きていると知ったベン・ハーが、訪ねていくと、そこは業病(ハンセン氏病)を患う人たちが集まっていた。
ベン・ハーの恋人エスター(ハイヤ・ハラリート)が母ミリア(マーサ・スコット)と妹ティルザ(キャシー・オドネル)に食料を届けていたが、二人からはベン・ハ―には知らせるなといわれていたのだった。
母親が、ベン・ハ―に気遣っている言葉を岩の陰で聞いているベン・ハーの苦しい心中などが迫るシーンだった。
そんな折、キリストの処刑が行われ、母親と妹の病が消えてしまうという奇跡が起こる。
ベン・ハーはガレー船に送られる道すがら、ある人物から水を与えられるが、処刑される人物こそ、まさにその人だったことに気づく。「ナザレのお方」とか「神の子」などといわれた人物は、「ナザレのイエス」すなわちイエス・キリストだった。
映画の冒頭で、流れ星が現われ、空からサーチライトのような光が地上に照らされ、その時に生まれた赤ん坊こそキリストだった。常に後ろ姿しか映らなかった。
大勢の人々を前に言葉を発していたが、その内容は、「皆の罪を背負うために生まれてきた」と語っていたという。
大きな落雷と雨のあとで、ベン・ハーの母と妹の病気が吹き飛ぶのだ。バックにハレルヤの音楽が静かに流れる。
スペクタクル映像で度肝を抜かれるという側面がある一方で、宗教色の強い映画だった。ローマ人、ユダヤ人、アラブ人(ラクダに乗り、アラビアのロレンスのような人物も見られた)などが入り乱れてはいたが、ローマ帝国の力が支配していた時代背景だった。
ライ病(ハンセン氏病)で、隔離されるという意味では「砂の器」もそうだった。現在では、伝染することはなく、完治されるということになっているが、当時は不治の病といわれた。
この映画では、助演男優賞を獲得したヒュー・グリフィス(族長イルデリム役)が味わいがあった。
「Overture」(序曲)も途中のインターミッションの「間奏曲」も長い。
「Overture」が長いのは「ウエストサイド物語」「アラビアのロレンス」。「ウエストサイド」などは、場面の色が変わるくらいで音楽が流れ続け、いい加減しびれを切らした頃に、あのマンハッタンの俯瞰シーンが現われる!