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映画「セレナ」(原題:Selena、1997、劇場未公開)を見る。

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映画「セレナ」(原題:Selena、1997、劇場未公開)を見た。Netflix配信。1995年にファンクラブ会長の女に殺害されたラテン系アメリカ人(メキシコ系)歌手セレナ・キンタニーヤ=ペレスの23年の生涯を描いた伝記映画。

主人公のセレナをジェニファー・ロペスが演じている。当時の本物のセレナや関係者の映像も一部登場する。ロペスがキュート。

メキシコ系アメリカ人の家庭に生まれた主人公セレナが父に歌の才能を見出され、出自のラテン"テハーノ"音楽で成功する様子を描く。

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舞台の幕が開くまでは、セレナの父エイブラハムをマスコミが追いかける。エイブラハムは超満員になり満足だと語る。セレナはギリギリまで衣装選び。舞台に向かうセレナを両親が舞台袖から見ている。セレナは振り返り、大丈夫だからといった笑顔の表情。

幕が上がると、歓声に包まれる。

オープニングで4:3のスタンダードサイズの画面の横が広がり、横長スクリーンになると、舞台はヒューストン・アストロドーム。「ヒューストンのみんな、元気?」とセレナの声が響く。

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画面は変わって、テキサス州レイク・ジャクソンの9歳のセレナが幼友達のスゼットと屋根の屋上で月を見ながら、ドナ・サマーが好きなどと話している。そんな中、ギターを弾いている父エイブラハムが、セレナにスペイン語の歌を教える。

スペイン語なんてわからない」とセレナが言うと、「口まねだけでいい」と父。セレナが歌いだすと、その歌唱力に父は驚き、自身の夢を娘に託すと考え、頑固親父の鶴の一声(ひとこえ)によって家族バンドを結成、それががファミリービジネスになっていくのだった。

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セレナが9歳の時に歌っているのが「Over The Rainbow(虹の彼方に)」(1939年のミュージカル映画オズの魔法使」の劇中歌。

当時、メキシコ系というだけで、イベントを断られることもあった。客が白人が多いからイタリア系かと思ったと、わずかばかりの小切手で追い返されるが小切手は破いて捨てた。

有名になっていたセレナが洋服を試着しようとすると、女店員が「お気に召すかどうか。800ドルしますから(言外に「どうせ払えないでしょう」という差別ことば」とメキシコ系と見て嫌味なことを言う。

ところが試着しようとしているところに、店の別部門の若い男が、本物のセレナがいることに大興奮。店中に「セレナがいる」と告げると大勢が集まってきて、サイン会さながらの盛況ぶりとなるのだった

混雑ぶりの状況を見て何ごとかと驚く先ほどの女店員に向かって「やっぱり、この洋服は買わないことにする」という一言はスカっとさせる。

ファンクラブの女会長ヨランダが、会員から振り込まれたお金を着服していることが発覚。帳簿が消えていた。セレナの父が問い詰めると、探してくると戻るが、後から経理資料をとりにセレナがヨランダのところに向かうと悲劇が起きたのだった。セレナはヨランダの銃弾に倒れ、ヨランダは終身刑に。

悲劇の実話の映画化だった。こうした実話ものは、なかなかヒットしにくいからか劇場公開されずにいたが、多様性が関心事になっている今、Netflixで配信されることになった。

■セレーナ・キンタニーヤ=ペレス

セレナは12歳でアルバムデビューを果たし、1987年テハーノ・ミュージック・アワード で最優秀女性ボーカリストに選ばれた。1992年にセレーナ・イ・ロス・ディノスのメンバーだったクリス・ペレスと結婚し、セレーナ・キンタニーヤ=ペレスと改名。

1994年グラミー賞のメキシカン・アメリカン・アルバム賞を受賞。

1995年に、ファンクラブ会長ヨランダ・サルディバル による着服が発覚し、会長を解雇。書類を受け取りに行った先でヨランダに銃で撃たれ出血多量により死亡。わずか23歳だった。ヨランダは同年10月23日に終身刑の判決を受けた。

当時テキサス州知事を務めていたジョージ・W・ブッシュがセレナの誕生日を「セレナの日」にすることを定めた。

この映画を見るときに、最新映画かと思って見ていたが、こんなスタイルのいい美人女優は誰だろうと思ったら、25年前のジェニファー・ロペスと知って納得(笑)。