映画「君の名は」(第一部、1953)を見た。”今頃”シリーズ。日本映画で戦後最大のヒット作といえば「君の名は」三部作。主題歌も含めて大ヒット。東京大空襲の夜に出会った男女のすれ違いメロドラマ。主演は、佐田啓二と岸恵子。1960年代のテレビドラマはリアルタイムで見ている。
映画三部作はそれぞれ観客動員が1,000万人以上に達した。1953年の映画興行収入では1位「君の名は」(第二部)2位「君の名は」(第一部)とワンツーを独占。
映画は「第1部」(1953年、127分)「第2部」(1953年、120分「第3部」(1954年、124分)の総上映時間371分(6時間11分)という超大作。
映画の公開の前年にラジオでの放送「君の名は」がスタート。放送時間帯には銭湯の女湯が空になったという逸話が有名だが、宣伝担当者の創作と言う話もある。映画が公開されると、主人公・真知子のスカーフを巻く姿が「真知子巻き」として一世を風靡した。1962年から1963年にかけてテレビドラマ化され、主人公は津川雅彦、北林早苗だったが、これは親とともに、子供ながらに見ていた。 ・・・
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1945年5月、東京大空襲の夜、焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中、たまたま出会って共に戦火の中を逃げ惑った氏家(うじいえ)真知子と後宮(あとみや)春樹は、命からがら数寄屋橋までたどり着き、お互いに生きていたら半年後、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの「名前も知らぬまま」別れた。
やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた。「あの時の氏家真知子です。」「後宮春樹です」の挨拶のあと、真知子の言葉は「後宮さん。あたし明日結婚するんです」驚く後宮は「よく来てくれましたね」というのが精一杯だった。
その後、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。
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終戦から時が流れて昭和23年(1948年)ごろが描かれるが、役所勤務の後宮の上司の課長として赴任してくるのが真知子の夫・浜口勝則という運命の皮肉。浜口から後宮への陰湿な仕打ちが続く。浜口は、後宮が水商売女と知り合いであることが役所に知れると噂になるとして「進退伺」を出すように迫るのだ。「事勿(なか)れ主義で行きましょう」と失点だけは避けるといういかにも役所的な発言(笑)。二言目には役所だからね、役所だからね、というのが耳に障る。
一方、真知子は、夫の母(姑)から何かにつけて嫌味を言われ続け、夫も姑のいうがままで、決して弁護はしない。親子揃って憎たらしい。
真知子の親友の石川綾(淡島千景)から「しあわせかい」と聞かれても、首を縦にふれない真知子。綾が、真知子の頭にあるのは後宮のことと理解しており、後宮が結婚しないのも真知子を思っているからだと告げる。「いっそのこと・・・」と進めるが、真知子のお腹のなかには・・・といった展開。
出演は、氏家真知子役が岸惠子(当時21歳)。後宮春樹役が佐田啓二(中井貴一の実父)。真知子の友人・石川綾役の淡島千景のキップの良さがいい。春樹の姉・後宮悠起枝役は月丘夢路。春樹が助けたパンパンガール(売春婦)の梢役が小林トシ子、同じ仲間のあさ役が野添ひとみ。海女の奈美役に淡路恵子など。ほかに、笠智衆、真知子の夫となる浜口勝則役が川喜多雄二、その母・浜口徳枝役に市川春代で、憎まれ役が半端ない。「第1部」は悲恋の始まりを描く。歌詞の文句で♪じれったい、じれったい♪というのがなかったか(中森明菜の少女Aか)。そんな映画だ(笑)。
舞台が戦後まもない頃で、差別用語も多い。アメリカの軍人との間の子供のことを「あいのこ」(混血児)と言ったり、パンパン(売春婦)、パンスケなど。昭和33年(1958年)ごろまで、売春が合法的に認められていた地域は「赤線」と呼ばれた。所轄の警察署が、特殊飲食店として売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街(特飲街)を俗に「赤線」と呼んだ。おっと、脱線。
この映画の音楽を担当しているのが古関裕而(こせきゆうじ)で、現在NHKの連ドラで放送している「エール!」の主人公の作曲家・古山裕一(窪田正孝)のモデルである。
監督:大庭秀雄
原作:菊田一夫
製作:山口松三郎
脚本:柳井隆雄
撮影:斎藤毅
音楽:古関裕而
主題歌:「君の名は」「君、いとしき人よ」
主な出演者:
氏家(うじいえ)真知子:岸惠子
石川綾:淡島千景
浜口勝則:川喜多雄二
梢:小林トシ子
あさ:野添ひとみ
奈美:淡路恵子
加瀬田修造:笠智衆
浜口徳枝(勝則の母):市川春代
信枝:望月優子
水沢謙吾:須賀不二男
勘次:市川小太夫
本間:伊澤一郎
横山:三井弘次
社長:北龍二