「麻雀放浪記2020」(2019)を見た。松竹系シネコン、MOVIXさいたまにて。監督は「凶悪」「狐狼の血」などの白石和彌。主演の斎藤工は「麻雀放浪記」(1984)を生涯ベストワン映画と位置づけ、10年前より本作の構想を温めてきたという。出演者の一人、ピエール瀧のスキャンダルで、一部取り直しか、オクラ入りかなど上映が危ぶまれたが、監督の意向もありそのまま上映された。
映画のオープニングで「映画の出演者であるピエール瀧の不祥事がありましたが、本編をそのまま上映することといたしました」といった意味の言葉が現れていた。もっともピエール瀧の出演シーンは、決めて少なく、個人的には編集でカットしても差し支えないほどだ。
スキャンダルといえば、過去に週刊文春などに叩かれ世間を賑わした人物2人が出演している。一人はベッキーで、この映画では2役(1945年の雀荘のママと2020年のAIロボット)を演じている。もうひとりは、政治資金の私的流用などで「第三者の目で」を連呼したが、最終的に東京都知事の職を追われたあの人物が「麻雀オリンピック」の解説者として本人役で出演だ。
それはともかく、斎藤工が、熱演はしているものの、映画は中途半端な仕上がりとなってしまっている。ギャンブラーの生き様や終戦直後の時代背景で描かれた「麻雀放浪記」のさまざまなキャラの充実ぶりと比べると「麻雀放浪記2020」は、”バック・トゥ・ザ・ヒューチャー”のスタイルで、1945年から主人公があるきっかけで、2020年にタイムスリップして、現代とのギャップに戸惑う話になっている。
1945年11月のある日、戦後日本の焼け野原の中で坊や哲(斎藤工)は一世一代の麻雀勝負に挑むこととなる。
極限状態の中で、追い詰められた哲は最難関の役とも言える九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を完成させる。「ツモ」を宣言しようとしたその瞬間、空から雷が落ち、哲は意識を失ってしまう。
哲が目を覚ますと、そこは新たな世界大戦の勃発し、日本が敗戦国となったことでオリンピックが中止となった2020年の東京だった。人口は大幅に減少し、AI開発が盛んに行われ、労働をAIに取って代わられた結果、街は失業者と老人だらけになっていた。
哲は偶然出会ったメイド喫茶ギャルのようなコスプレ・アイドルのドテ子(もも/チャラン・ポ・ランタン)とそのマネージャーであるクソ丸(竹中直人)と共に生活する中で、1945年に戻る方法を模索するようになる。
その中で、哲は真剣な麻雀勝負の場でもう一度、九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を揃えることができれば、再びタイムスリップ出来るのではないかと考えた。
一方で、日本では最強の麻雀AIが開発され、そのプロモーションとしての「麻雀オリンピック2020」が企画されていたのだった。そのオリンピック参加者は、坊や哲、ミスターX, ユリ、それに中国人だった。
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映画は、いろいろ詰め込みすぎて焦点がボケてしまったのが残念。
麻雀で1945年当時、インチキも行いながらもお金を巻き上げていた主人公・坊や哲が、2020年にAI麻雀で、世界で2,000万人のトップに君臨するミスターKに挑戦する姿を描く。
一方で、土手でもどこでも男と寝る尻軽女のため”ドテ子”と呼ばれるが実は純粋で健気な女性とのラブストーリー的な要素もある。
ドテ子のマネージャー的な存在のクソ丸は、借金に追われており、坊や哲が麻雀オリンピックで優勝すると3億円が手に入るので、それを当てにして借金をチャラにしようと企む。クソ丸は、大金が入って「ホストクラブ」に類似した女性客向けの”ふんどししゃぶしゃぶ”店をオープンする。
オリジナルの「麻雀放浪記」のような勝負の世界の厳しさというよりも、奇想天外な発想によるブラックコメディ色の混じった映画となった。最後にクレジットなど全てが出尽くしたあとに、ワンカット・シーンが追加されているので、終わっても席を立たないように・・・。
麻雀のルールを知っているとより面白く見られたかもしれない(のめり込みそうで全く避けてきて覚えなかった。笑)。映画初出演というももは、チャラン・ポ・ランタン(CHARAN-PO-RANTAN)という、実の姉妹による音楽ユニット。特別美人ではないが、キュートだった。