「アポロンの地獄」(原題:Edipo Re、1967、イタリア)は、日本では1969年に公開され、日比谷みゆき座で見た。
当時は、鬼才と言われたピエル・パオロ・パゾリーニ監督の作品として「豚小屋」「テオレマ」「アポロンの地獄」「王女メディア」と立て続けに公開されている時期だった。グロい作品が多かった。
イタリア映画の監督としては、翌1970年に「サテリコン」(原題:Satyricon、1970)が公開されたフェデリコ・フェリー二、「砂丘」〈原題:Zabriskie Point)のミケランジェロ・アントニオーニといった巨匠の作品も登場し、イタリア映画もまだまだ全盛期と言える時代だった。
そんな中、ソポクレスの戯曲「オイディプス王」を自伝的要素を内包して映画化した「アポロンの地獄」は、第28回ヴェネツィア国際映画祭では不評に終わったが、日本では1970年にキネマ旬報ベストテンの第1位に選出された。
1969年度キネマ旬報ベスト10(1970) | ||
作品名 | 監督 | |
第1位 | アポロンの地獄 | ピエル・パオロ・パゾリーニ |
第2位 | 真夜中のカーボーイ | ジョン・シュレシンジャー |
第3位 | if もしも・・・ | リンゼイ・アンダーソン |
第4位 | ウィークエンド | ジャン・リュック・ゴダール |
第5位 | ローズマリーの赤ちゃん | ロマン・ポランスキー |
第6位 | 泳ぐひと | フランク・ペリー |
第7位 | できごと | ジョセフ・ロージー |
第8位 | フィクサー | ジョン・フランケンハイマー |
第9位 | ジョンとメリー | ピーター・イエーツ |
第10位 | さよならコロンバス | ラリー・ピアス |
上記ベスト10は、「さよならコロンバス」以外はリアルタイムもしくは後にすべて見ているが、キネマ旬報の選出というだけあって、映画雑誌の読者投票ランキングと違って、一癖二癖あるような玄人受けする映画が多かったようだ。「真夜中のカーボーイ」は、音楽とともに忘がたい名作だが、この頃は、メッセージ性が強かったり、変わった作品が多かったようだ。
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マザコン(エディプス・コンプレックス)の語源はこの映画の原作「オイディプス王」によるもの。主な物語は、諸国を遍歴していたオイディプスが「テーバイ」(TEBE)という国で、疫病神のスフィンクスを倒したことでテーバイに平和をもたらして英雄扱いされ、妃を娶り一国の王になる。
しかし、再び、国に災難が降りかかり、解決策はないかと”アポロンの神託”を受けると「先王を殺したものがいる、殺した者を追放せよ」と告げられる。
犯人探しをするうちにオイディプス王は自身に心当たりがあって、その昔、言い争いから衝動的に殺害したのが先王ではないかと訝しみ「自分が先王殺しの犯人ではない」証拠を求めるが、真実は残酷で「先王殺しの犯人であり、その息子であった」ことを知ってしまう。
その真実に打ちひしがれたオイディプス王は自ら目を潰し、テーバイを追放され乞食に身をやつし放浪する、という話。二つのタブー(”親殺し”と”近親相姦”)をテーマにしている。
物語:
一人の女が、男の児を生んだ。あどけないその赤ん坊の顔をみて、父親は暗い予感にとらわれた。「この子は、私の愛する女の愛を奪うだろう。そして、私を殺し、私の持てるすべてを奪うであろう」。
舞台は古代ギリシャにとぶ。太陽に焼けただれた赤土の山中に、一人の男が赤ん坊を捨てにきた。泣きさけぶ赤ん坊をさすがに殺すことはできず、男はそのまま立ち去った。捨て子は、コリントスの王ポリュボスにひろわれ、神に授かった子として王妃メローペ(アリダ・バリ)の手で大事に育てられ、たくましい若者エディポ(フランコ・チッティ)となった。
ある日、友だちと争い本当の子でないとののしられたエディポは、父母に事実を問いただし、否定されたがどうしても真実を知りたくて、神託をきくために思いたって旅にのぼった。
神託は、思いもかけぬ恐しい言葉を、エディポに投げかけた。
「お前は父を殺すだろう。そして母と情を通じるであろう。お前の運勢は呪われている」ポリュボスとメローペを実の父母と考えていたエディポは、コリントスには再び帰らぬ決心をして長い絶望の旅を続けた。
テーベの近くまできたとき、エディポは数人の兵士と従僕をしたがえたテーベの王ライオスの一行と出会った。ライオス王に乞食あつかいにされ侮られたのを怒ったエディポは、兵士たちをつぎつぎ殺し、ライオス王をも殺した。
ただ一人、老従僕だけが、エディポの剣をのがれた。
予言は実現した。が、エディポには知るよしもなかった。テーベに到着したエディポは、人々が続々と、町を逃げて行くのに会った。
スフィンクスを退治した者は、ライオス王の后イオカステ(シルヴァーナ・マンガーノ)を妻とし、テーベの王になれるという布告が出ており、エディポは、テーベの王となった。
それから間もなく、テーベにはおそろしい疫病が流行しはじめた。
エディポは犯人探索もはじめた。そのため予言者ティレシアスが召された。
ティレシアスの言葉から、その犯人が自分であるとエディポは聞かされた。それが真実かどうか、エディポはライオス王の死を知らせたという羊飼いにあった。
その男こそが、彼を山中に捨てた男だった。
今こそエディポは真実を知った。衝撃に打ちのめされたイオカステは首をつって自殺した。エディポは自らの手で両眼をえぐり、あてのない放浪の旅に出た。
そして現代。一人の盲人が、若者の肩につかまり、さまよって行く。
その顔は、エディポに、そっくりである(MovieWalker)。
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40数年ぶりに再見したが、初見の時ほどの衝撃はなかった。
冒頭、老人が、1本の竹竿に、1歳くらいの裸の赤ん坊の手足を縛り付け、荒涼とした荒地の山に捨てに行く光景は、子豚を串刺しにしたようで異様だ。
不吉として、赤ん坊は両手・両足を縛られ、捨てられようとしていた。
置き去りにされた赤ん坊を、通りがかりの別の老人がみつけ「運命の神の子だ」といって拾い、神々の贈り物だとして、崇められていく。「お前は父親を殺し、母と情を通じる」という悲劇が、この映画のテーマだった。
オイディプスが、真実を知るために、赤ん坊を山に捨てた人物を探し出し、聞き出すところなどは、スリリングではある。「ある人に頼まれた」というのだ。その「ある人」は、ライオス王である、その赤子は、実の子。ライオスは、どのように殺されたかを、リオスの従者で一人だけ生き残った人物に確認するオイディプス。
オイディプスが、宮殿に到着する道すがら、小バカにされた人物などを殺したが、それが実の父親・ライオスだった。
予言が全て現実になっていく、運命の皮肉。
父親は息子に殺され、愛人が実の子だったという事実を知った母親は首吊り自殺。
息子は、見てはならないものを見えないようにするために、自分の目を潰してしまうというのだ。エロ・グロが多く、あまり趣味の良くない監督であることは間違いない。
■9年前の記事〈2007年3月):http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/45701330.html
(さすがに反応は少ない?笑)
「シルバーナ・マンガーノ」:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/60475140.html
「Gyao」で配信中。
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