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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

★「日本のカラオケ・ソング」(中国語バージョンもなかなか・・・)

1980年代はじめころから、日本だけでなくアジアなどの海外でも急速に広まったカラオケ(KARAOKE)。
 
カラオケのカラは「空」、オケは「オーケストラ」の略で、楽団・楽隊による生演奏ではなく、レコードやテープで代用することを指し、放送業界で用いられている。一説にはNHK交響楽団員らの雑談から出た言葉という。
 
1970年以前には、日本では既にハードウェアとしてはマイク入力つきの8トラック式小型ジュークボックスが、また、ソフトウェアとしては伴奏用ミュージックテープが販売され、これらを使って歌を歌わせる店が出現。その後、80年代になると、レーザーディスクの登場で「レーザー・カラオケ」などが普及した。第一興商、日光堂などのカラオケ業者が台頭。今では繁華街などで、カラオケ店が林立している。
 
90年代になると、台湾などのアジアでもカラオケ店が急増して、賑わいを見せている。台湾では「カラオケ」は「卡拉OK」と表記され、カラオケボックスやカラオケ・パブとして夜の娯楽の中心的な存在となっている。
 
2,3日前にテレビを見ていたら、懐かしいメロディーがバックに流れていた。
聴いたことがあると思ったら中国語の歌詞だったが、曲は「あの素晴らしい愛をもう一度」だった。中国語学習にはいいようだ(今から必要ないが・・・)。
 
 
日本の曲を中国語でカバーしている例は多い。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」などは、テレサ・テンが歌っているいるような雰囲気でなかなかいい。
 
 

fpd
もかつては、台湾に出張のたびに「カラオケ・パブ」に行ったが、「北国の春」「骨まで愛して」「港町ブルース」などの古い曲は台湾でも歌われていて、カラオケ・リストの定番だった。
 
fpdの定番は、台湾限定でしか歌わないが「長崎は今日も雨だった」「おふくろさん」「哀愁のカサブランカ」「北酒場」「霧の摩周湖」「青春時代」くらいか(進歩がない)。
 
昔の歌は、いま聞きかえすと、随分とゆっくり、のんびりしている印象を受ける。
 
 
  郷ひろみの「哀愁のカサブランカ
 
こんなツーショットもあったのか。
「今度生まれ変わったら、一緒になろうね。」なんていうのもあったか。