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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「放浪記」(1962)成瀨己喜男監督、高峰秀子主演。

 
林芙美子原作の「放浪記」(1962)をようやく見た。
高峰秀子を見るだけでも価値のある映画だった。
 
 
 
これまでに3度映画化(1935年、1954年、1962年)されているが、1962年版は、宝塚映画(現・宝塚映像)製作。東宝配給。東宝創立30周年記念映画として公開された。
 
舞台の「放浪記」は森光子主演で、2017回目の公演を記録した。舞台で有名な森光子の”でんぐり返し”というのは映画にも原作にもない。
 
1962年版の映画では、高峰秀子のうつむき加減の拗(す)ねたような表情から、女給として、お盆を持って、歌って踊る快活な表情まで、とにかくすばらしい。
 
 
男運がなく、お金に苦労するが、文壇に認められると、面白いもので、慈善事業、親戚、貧乏な若者などが、お金の寄付やらを求めて寄ってくる。それらに対しては「貧乏人は働くしかない」とすべて断っていた。それもこれも「金だ金だ金だ。金が必要だ。金は天下の回りものというけれど、私は働けど働けど金は回ってこない」というのが身にしみていたからだ。
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映画の冒頭は、小学生くらいの女の子が駆けていく場面。女の子は木陰に座っていた母親のもとにたどり着く。そして、父親が警察に連れて行かれたことを告げる。女の子と母親が警察署に行くと、行商をしていた父親が化粧品が腐っていると言われ、警察官からこづかれていた。女の子が泣きだす。
 
そして、映画のタイトル「放浪記」となり、出演者のクレジットが流れる。
昭和の初期。林ふみ子(高峰秀子)は行商をしながら、母(田中絹代)と駄菓子屋の二階で暮らしていた。
 
ふみ子が八歳の時から育てられた父は、九州から東京まで金を無心にくるような男だった。隣室に住む律気な印刷工・安岡(加藤大)は不幸なふみ子に同情し、なにかと助けようとしたが、その好意は受けたが、それ以上の感情はなかった。
 
自分を捨てた初恋の男・香取のことが忘れられないのだ。母を九州の父のもとへ発たせたふみ子は、カフェー「キリン」の女給になった。彼女の書いた詩を読んで、詩人兼劇作家の伊達(仲谷昇)は、同人雑誌の仲間に入るようすすめた。
 
まもなく、ふみ子は本郷の伊達の下宿に移ったが彼の収入だけでは生活できず牛めし屋の女中になった。ところが、客扱いのことからクビになったふみ子は、下宿で日夏京子(草笛光子)が伊達にあてた手紙を発見した。
 
新劇の女優で詩人の京子は、やがて伊達の下宿へ押しかけてきた。
憤然と飛び出したふみ子は、新宿のカフェー「金の星」で働くことにした。その間にふみ子が新聞に発表した詩を高く評価したのは、「太平洋詩人」の福地(宝田明)、上野山(加藤武)、白坂(伊藤雄之助)らである。
 
彼らは京子をつれてきて、ふみ子に女同士での出版をすすめ、今は伊達と別れた二人の女は、ふしぎなめぐり合わせの中で手を握り合った。
 
こんなことからふみ子は福地(宝田明)と結婚したものの、貧乏と縁がきれない。
ある日、新進作家の村野やす子(文野朋子)をつれて、白坂と京子がきた。そして、「女性芸術」でふみ子と京子の詩を選択のうえ、どちらか一篇を掲載すると告げた。
 
安岡が金を持って訪ねてきたことから、福地はふみ子と安岡の仲を邪推した。
ふみ子は再び婦らぬ決心で家を出た。その後、ふみ子の力作「放浪記」が「女性芸術」にとりあげられ、彼女は文壇に第一歩を踏み出した。
 
そんなとき、彼女は画家の藤山武士(小林桂樹)を知った。「放浪記」出版記念会の日、ふみ子の眼は感激の涙で濡れていた。林ふみ子という人生をのせた機関車は走り出した・・・。(Movie Walkerほか)
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映画は、一人称の林ふみ子(高峰秀子)のナレーションで進む。
売れない作家・福地(宝田明)と夫婦になるが、最初こそ、原稿料が入ったから、夕飯は洋食にしたいが何がいいと聞いてきたので、ふみ子は「カレーライス、カツライス、ビフテキ」と答える。福地は「明日は?」と聞くと「明日は明日の風が吹く」だった。
 

ふみ子は、自分の原稿料が入ってくると、豆腐、メザシ、たくわんなどを買ってきて、福地に勧めるが、福地は、膳をひっくり返し、「自分の貧乏話を売り物にして」と怒ったのか、ふみ子に出て行けと怒鳴りつける。ふみ子も、ようやくこんな男と一緒にいてもろくなことはないと気づき、「あんたみたいなキチガイのところには帰ってくるもんか」と凄まじい形相で飛び出してしまう。
 
やがて「放浪記」で、文壇に認められ、お祝いのパーティがあったが、そこに福地が現れ、ふみ子の才能をみとめる言葉を残して去っていった。
 
「山は高く登るほど風はきつい」というものもいた。
林ふみ子は、「書くわ。書かなかったら、林ふみ子は”放浪記”しか書けないと言われる。”放浪記”だけが私じゃないわ」と固い決意をするのだった。
 
最後に、「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」という文字が出る。
 
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昭和初期の時代風景などがわかり面白い。
セルロイドの人形(キューピー人形)の絵の具の色塗りの女給の日給が75銭。
複式簿記ができれば、弁当付き事務員で、月給35円。
原稿料が、1枚20銭(ランクが上がると35銭)。
母親から、リュウマチだから、医者にかかるお金として、5円でも3円でもいいから送ってくれないかという連絡もあったりする。当時10円というと、現在に換算すると、10万円くらいの価値だろう。
 
成瀬巳喜男監督の映画はそれほど見ていないが、ほかの作品も見てみたい。
 
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