林芙美子原作の「放浪記」(1962)をようやく見た。
高峰秀子を見るだけでも価値のある映画だった。
舞台の「放浪記」は森光子主演で、2017回目の公演を記録した。舞台で有名な森光子の”でんぐり返し”というのは映画にも原作にもない。
1962年版の映画では、高峰秀子のうつむき加減の拗(す)ねたような表情から、女給として、お盆を持って、歌って踊る快活な表情まで、とにかくすばらしい。
男運がなく、お金に苦労するが、文壇に認められると、面白いもので、慈善事業、親戚、貧乏な若者などが、お金の寄付やらを求めて寄ってくる。それらに対しては「貧乏人は働くしかない」とすべて断っていた。それもこれも「金だ金だ金だ。金が必要だ。金は天下の回りものというけれど、私は働けど働けど金は回ってこない」というのが身にしみていたからだ。
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映画の冒頭は、小学生くらいの女の子が駆けていく場面。女の子は木陰に座っていた母親のもとにたどり着く。そして、父親が警察に連れて行かれたことを告げる。女の子と母親が警察署に行くと、行商をしていた父親が化粧品が腐っていると言われ、警察官からこづかれていた。女の子が泣きだす。
そして、映画のタイトル「放浪記」となり、出演者のクレジットが流れる。
ふみ子が八歳の時から育てられた父は、九州から東京まで金を無心にくるような男だった。隣室に住む律気な印刷工・安岡(加藤大介)は不幸なふみ子に同情し、なにかと助けようとしたが、その好意は受けたが、それ以上の感情はなかった。
自分を捨てた初恋の男・香取のことが忘れられないのだ。母を九州の父のもとへ発たせたふみ子は、カフェー「キリン」の女給になった。彼女の書いた詩を読んで、詩人兼劇作家の伊達(仲谷昇)は、同人雑誌の仲間に入るようすすめた。
新劇の女優で詩人の京子は、やがて伊達の下宿へ押しかけてきた。
彼らは京子をつれてきて、ふみ子に女同士での出版をすすめ、今は伊達と別れた二人の女は、ふしぎなめぐり合わせの中で手を握り合った。
こんなことからふみ子は福地(宝田明)と結婚したものの、貧乏と縁がきれない。
ある日、新進作家の村野やす子(文野朋子)をつれて、白坂と京子がきた。そして、「女性芸術」でふみ子と京子の詩を選択のうえ、どちらか一篇を掲載すると告げた。
安岡が金を持って訪ねてきたことから、福地はふみ子と安岡の仲を邪推した。
ふみ子は再び婦らぬ決心で家を出た。その後、ふみ子の力作「放浪記」が「女性芸術」にとりあげられ、彼女は文壇に第一歩を踏み出した。
そんなとき、彼女は画家の藤山武士(小林桂樹)を知った。「放浪記」出版記念会の日、ふみ子の眼は感激の涙で濡れていた。林ふみ子という人生をのせた機関車は走り出した・・・。(Movie Walkerほか)
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映画は、一人称の林ふみ子(高峰秀子)のナレーションで進む。
売れない作家・福地(宝田明)と夫婦になるが、最初こそ、原稿料が入ったから、夕飯は洋食にしたいが何がいいと聞いてきたので、ふみ子は「カレーライス、カツライス、ビフテキ」と答える。福地は「明日は?」と聞くと「明日は明日の風が吹く」だった。
ふみ子は、自分の原稿料が入ってくると、豆腐、メザシ、たくわんなどを買ってきて、福地に勧めるが、福地は、膳をひっくり返し、「自分の貧乏話を売り物にして」と怒ったのか、ふみ子に出て行けと怒鳴りつける。ふみ子も、ようやくこんな男と一緒にいてもろくなことはないと気づき、「あんたみたいなキチガイのところには帰ってくるもんか」と凄まじい形相で飛び出してしまう。
やがて「放浪記」で、文壇に認められ、お祝いのパーティがあったが、そこに福地が現れ、ふみ子の才能をみとめる言葉を残して去っていった。
「山は高く登るほど風はきつい」というものもいた。
林ふみ子は、「書くわ。書かなかったら、林ふみ子は”放浪記”しか書けないと言われる。”放浪記”だけが私じゃないわ」と固い決意をするのだった。
最後に、「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」という文字が出る。
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昭和初期の時代風景などがわかり面白い。
セルロイドの人形(キューピー人形)の絵の具の色塗りの女給の日給が75銭。
複式簿記ができれば、弁当付き事務員で、月給35円。
原稿料が、1枚20銭(ランクが上がると35銭)。
母親から、リュウマチだから、医者にかかるお金として、5円でも3円でもいいから送ってくれないかという連絡もあったりする。当時10円というと、現在に換算すると、10万円くらいの価値だろう。
成瀬巳喜男監督の映画はそれほど見ていないが、ほかの作品も見てみたい。
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