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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「秀子の車掌さん」(1941)高峰秀子主演。</span>



高峰秀子主演の「秀子の車掌さん」(1941)は、原作は井伏鱒二の短編小説「おこまさん」。前年に封切られた「秀子の應援團長」に続いて当時既に少女スターとして名声を博していた高峰秀子を主役に迎え、タイトルにも秀子の名を乗せるなどいわゆる「アイドル映画」に近い作品である。その後に続く「名コンビ」と謳われた成瀬巳喜男監督、高峰秀子の初共演作品でもある。

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「秀子の車掌さん」の冒頭では、乗客が一人もいないのに、車掌のおこま(高峰秀子)が「次はXXです」という。すると、運転手(藤原鶏太)が「乗客がいないのに。いつの間にか乗ったのかと思ったよ」というと「いつものクセでね」といった会話が続く。「こんな調子じゃあ、今月は月給があぶないね」。

途中で、荷物をたくさん持った男が一人が乗ってくる。
次の停車場では、大人一人と小さい子供が5-6人乗ってくる。

このオンボロバスのほかに、同じ路線には、開発(会社名)バスが走り始めたようで、客はそちらに取られているようだ。

先ほどの乗客同士の会話は「開発のバスはきれいでいいんだけど、このバスはいつも空いているからね」「そうさ、荷物が多いときはこれに限るよ」といった内容。

乗客の手荷物の鶏が逃げ出して追いかけたり、車掌・おこま(高峰秀子)が、運転手に、「ちょっとうちの家の前で止まってくれる」と頼み用事を済ませてきたり、のんびりしたものだ。

他人からは、バス会社は評判が悪いね、と言われる。バス一台で会社がやっていけるわけがなく陰で何か悪いことをしているに違いないという評判だ。おこまの下宿先は、雑貨屋で「たわし」ひとつ15銭だった。

おこまのアイデアで、バスでの途中の場所の案内ガイドを取り入れることに。
「青梅街道、甲州街道は新宿に端を発し・・・」など。バスガールとして、運転手とともに楽しくバスを走らせることに・・・。バスガールの説明文を東京の小説家・井川に当地の名所旧跡を辿る短文がつくり、おこまが話し方の練習をする。ドケチ社長も小説家への原稿料(薄謝)として10円を用意し、安いと文句を言うようなら原稿を突き返せと運転手に命じだり、社長が社員に「氷とラムネ」を奢ろう、というなどなど当時の社会状況がおもしろい。

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1941(昭和16年)と言えば、日本も戦争の足音が迫っていた時期であり、その頃のんびりした映画が作られていたのに驚く。実際に、この作品は、日米開戦前の最後の作品と言われる。

成瀬作品には多く、往時の世相や風俗を色濃く反映した演出が見られるというが、この作品は、開戦直前の慌しい社会情勢とは無縁の、どちらかといえば浮世離れした童話的作品となった。以後、成瀬は主に戦時下~終戦直後においてスランプと目される時期が続いたが、本作品は堅実な評価を得ているとされている。

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この映画を見て、中村メイコが歌っていた「田舎のバス」という歌を思い出した。

 「田舎のバス」

昭和30年代の歌で「田舎のバスはおんぼろ車~♪」という歌詞が懐かしい。
映画が、田舎のバスに脱線した。

実家のある田舎のほうでは、路線バスの利用が減って、廃止になったりしている。
車が必需品になっている地域では、1時間に2-3本のバスでは不便ということもあり利用が少なくなっているのだろう。

映画は時代を映す鏡でもある。


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