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<span itemprop="headline">映画「社長紳士録」(1964):森繁社長シリーズ、第20作。</span>



森繁久彌主演の”社長シリーズ”の第20作目「社長紳士録」(1964)を見た。
本来、この作品はシリーズ最終作品と言われていたので、集大成的な作品となっており、初心に戻った作りといわれたようだ。実際には、33作品(最終作品は、1970年の「続・社長学ABC」)が制作された。

「社長紳士録」は、鹿児島が舞台となり、鹿児島出身というフランキー堺が、得意の鹿児島弁を話すときには、まるで外国語のように字幕が出ていた。

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秘書課長・原田勉(小林桂樹)が待ち焦れた結婚式の当日、媒酌人で大正製紙常務・小泉礼太郎(森繁久彌)が、関連会社・大正製袋の新社長に就任が決り、またまた結婚式がお流れとなった。


猿丸部長(三木のり平)の提案で新社長の歓迎パーティが、クラブ・パピヨンで開かれた。折りしも開店記念日と重り、マダム京子(草笛光子)もすこぶるごきげんがよい。

記念行事の椅子とりゲームの特賞サービスは、マダムのキスと決まった。最初は尻込みしていた礼太郎も、ライバル赤羽製袋の中西社長が出場とあって発奮したが、尾底骨を打って失格する破目となってしまった。

翌日、社長第一日目を、足を引きずりながら出勤した礼太郎に、富岡営業部長(加藤大)が、鹿児島県下の南国澱粉から契約御破算の知らせがあったと聞いた。

その裏には赤羽製袋があるとか、礼太郎にとって血圧のあがることばかりで、とうとう人間ドックに入る決意をした。

一方原田は、長年の恋人・房代(司葉子)と富岡媒酌人代理の司会のもとゴールインした。途中、人間ドックで診断の結果、千人にひとりという肉体の持ち主と折紙をつけられた礼太郎が参加して、はなむけの言葉が送られた。

礼太郎は早速仕事にハッスルして南国澱粉社長・日田山隼人(フランキー堺)と交渉を始めた。しかしこの隼人がまた大変な変り者で、ひとすじ縄でゆかない男だった。

礼太郎の横に鹿児島NO・1のはま勇(池内淳子)をはべらせるかと思えば、別の座敷では、赤羽製袋・中西社長が歓待されているという、ふたまたをかけたやり方だった。

そんな隼人の出方をよそに、礼太郎は、はま勇とホテルへ。
ところが、丁度、新婚旅行に来た原田と房代にばったり出会って、悪戦苦闘の態。べロベロに酔った猿丸と、前途多難な交渉旅行となる。



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総務部長の猿丸(三木のり平)は、身振り手振りで笑わせるが、とくに、宴会の手配の際に、関連会社の社長に就任した礼太郎に「パッ・パッ」と一次会、二次会と行きましょうというのが笑わせる。「発奮します。」という猿丸に、新社長の礼太郎は、「発奮も結構だが、トンデモはっぷんは困るよ」と釘を刺す。

原田秘書課長(小林桂樹)は、家での早食いの食べっぷりが豪快で、次から次におかわりの茶碗を出すので、母親から「あんたの食べ方を見ていると、寿命が縮まるよ。そのせっかちな性格を直さないとね」と結婚を前に注意をする。「3年も付き合っているんだからね」と原田がいうと「猫をかぶっている間はいいけどね」だった。

南国澱粉社長・日田山隼人(フランキー堺)は、父親が亡くなって社長になったばかりで、「うにゃうにゃ」という意味不明の言葉を吐くのが癖の変わり者。もともと芸者など女性に関心がなく、宴会の余興で、猿丸が白塗りの化粧で踊る姿を見て興味を覚え、「猿丸ちゃん」と叫びながら、あとを追い掛け回す。隼人が、原田の妻となった房代(司葉子)と幼友達であったことから、「房代ちゃんのダンナの会社なら、信用できる」と、ビジネスを継続することになった、というオチがあった。

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昭和のコメディアンは、森繁久彌をはじめ、三木のり平フランキー堺八波むと志エノケンなどの大物がいたが、平成の現在では、そういったコメデイアンが少なくなったのは寂しい限り。

この映画は、1964年1月の公開で、東京オリンピック(10月)を控えている状況や、バックには、舟木一夫のデビュー曲にして大ヒットとなった「高校三年生」が流れていて、時代を感じさせる。

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