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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)・・・アカデミー賞作品賞ほか7部門受賞。</span>

 

 
 
アカデミー賞の作品賞、監督賞ケヴィン・コスナー)ほか7部門を受賞した「ダンス・ウィズ・ウルブズ」をようやく観ることができた。3時間は長い。映画は、2時間程度にコンパクトであってほしい。
 
ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、181分(3時間)と長尺であること、テーマがインディアンなどを扱っていて、今一つ興味がわかなかったことなどで、長年放置していたのだ。全長版は「236分」(約4時間!)というらしいが、これは間違いなくが痛くなるので、知りません。
 
この数年、アカデミー賞・作品賞を受賞した作品だけは、とりあえず完全制覇しようと思って見てきた。1970年代の映画は、リアルタイムで全作品を劇場で鑑賞した。
 
1980年代は「炎のランナー」(81年)のみ未見⇒その後鑑賞。
1990年代、2000年代では、「ブレイブハート」(1995)の1本が未見。
43年間の43本中41本を見たことになる。追記:その後「ブレイブハート」も見たのであと1本。
 
1960年代以前の作品は、およそ半分が未見状態。
これらも死ぬまでに見ないと”時間が足りなくなる”(笑)。
 
アカデミー賞作品賞受賞といっても、「?」と思うような作品もある。
「クラッシュ」「ハート・ロ一カー」などは、なぜこの映画が、と思った作品だ。
 
それはさておき、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、西部劇ではあるが、これまで白人=正義、インディアン=悪といった構図を変えた映画ともいわれている。インディアンの間で交わされる言葉など、インディアンの考え方などを詳しく描いている。
 
インディアンの立場からすれば、これまでメキシコ人がやってきて、そのあとにテキサス人がやってきて全てを奪っていったという歴史があり、白人を敵視していたが、初めて白人の友達を発見し、その交流を描いている。しかし、結局インディアンも投降し”馬族文化”の消滅までを描いている。
 
 
・・・
インディアンの社会では、名前は、その人物の特徴で呼ばれていた。
”髪をなびかせる男” ”10頭の熊” ”蹴る鳥” ”静かな男” ”笑っている顔”がいたり、”拳を握り立つ女”もいる。そして、白人で、インディアンの中に入って溶け込み、たまたま火を焚いて、ある日、近くに狼がいて、そこで踊っていた男・ジョン・ダンバー(ケヴィン・コスナー)は、”狼と踊る男(ダンス・ウィズ・ウルブズ” と呼ばれたのだった。
 
・・・
1990年当時、ハリウッドのトップ・スターだったケヴィン・コスナーが自ら製作し、監督した野心作である。
 
時は1863年、南北戦争の激戦地。
その自殺的行為から英雄となり、殊勲者として勤務地(ポスト)を選ぶ権利を与えられたジョン・ダンバー(ケヴィン・コスナー)は、当時の最西部で、かねてより興味を持っていたダコダにあるセッジウィック砦を望んだ。
 
常人なら孤独に耐え兼ね、精神を病んでしまうような荒野に、次第に魅了されてゆくダンバー。彼は、愛馬シスコと足の先が白いことから白い靴下をはいているように見えることからトゥー・ソックスと名付けられた野性の狼と共に、不思議に満ち足りた日々を送り始める。
 
ひと月が経った頃、ダンバーはシスコを盗みに来たインディアンを追い払った事から彼らと次第に交流を深めるようになる。やがて、インディアンに育てられた白人女性”拳を握り立つ女”と恋に落ちたダンバーは、“狼と踊る男”という名をもらい、侵略者である白人から彼らを守ろうと努力するのだが・・・。


 
コミュニケーションの手段である言葉の重要さを思い知らされる。
”拳を握って立つ女”が、幼いころの英語を片言で通訳したり、ダンバーは、バッファロー(タタンカ)のまねをして、角を作って理解させるなど、ダンバー自身がやがてインディアンの言葉を理解し話すようになり、インディアンとの友情を深めていく。
 
友人を先住民族であるインディアンを虐殺し、バッファローを絶滅寸前に追いやった今のアメリカに対して、フロンティアへの郷愁と同時に、警鐘を打ち鳴らした作品といわれる。
 
コスナーは、初監督とは思えないほど、ダイナミックであり、時として細やかな演出が緩急のリズムを生みだしている。アカデミー賞では、作品・監督・脚色・編集・撮影・オリジナル作曲・録音賞を受賞した。
 
インディアンの酋長で”聖人”といわれる男が「人の人生にはいろいろあるが、大事なことは、本当の道を歩むことだ。(ダンバーに向かって)君はその道を歩んでいる」と語るシーンがあるが、たとえ人種・部族が違っても武力を持って争うべきではないという映画のメッセージのようなものを感じさせる。
 
1987年の「アンタッチャブル」で一躍有名になったケヴィン・コスナーだが、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の時、30代半ばで、主演・監督・製作を行い、最も輝いていた時期だったかもしれない。
 
 
 
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