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<span itemprop="headline">訃報:筑紫哲也さん(肺がんで死去)73歳</span>


ショック!
筑紫哲也さんの訃報のニュースだ。

「1500本目」の記事を何にしようか考えていた矢先に、このニュースが飛び込んできた。

専門紙だったが、私も特派員も含めて新聞記者の経験があり、尊敬する先輩の一人だった。

テレビのニュースキャスターで元新聞記者の筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日、肺がんのため、
死去した。73歳。

平成19年5月、メーンキャスターを務めるTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」の放送中に、
自ら肺がんであることを告白。手術後の番組への復帰を約束し、闘病生活に入っていた(報道より)。

1990年ごろ、ニューヨークで一度、小グループの勉強会でお会いし、身近に
懇談的に話を聞いたことがある。

筑紫さんは、朝日新聞が発行していた週刊誌「朝日ジャーナル」で昭和59年から約3年間、
編集長を務めたあと、一時期、ニューヨークに駐在していた。

私も80年代半ばから90年代初頭までニューヨークにおり、30代の若手ビジネスマンの異業種
交流会(勉強会)に顔を出していた関係で、月1回のミーティングのゲストにあるとき、筑紫さんに参加
してもらったのだ。10数人の集まりだった。そこで、筑紫さんは、アメリカの大統領選挙の
仕組みや、動向などを話しておられた。わかりやすい話だった。

50代前半のバリバリの筑紫さんで、すでに有名だったが、決して偉ぶるところがなく
親しみやすい人だった。

その後、筑紫さんは、帰国して報道番組の、アメリカで言う ”アンカーマン”の存在として
自らの名前を冠した「筑紫哲也NEWS23」で従来の報道番組を変えたのだった。

髪の毛は、グレーだが、独得の ”ウエーブがかかった”ふさふさのヘアスタイル(写真=上)で、
若々しく70歳を超えているとは思えなかった。

報道・マスコミ分野で、日本を代表する報道人の一人が亡くなったことは
残念に思う。

ご冥福を祈ります。