↑男優では、渡辺謙、女優では工藤夕貴が活躍中。
野球のイチローほど、日本人のステータスをあげた人物はいませんが、映画界でも
ミフネの後、渡辺謙など、日本人俳優が活躍する時代が近づいています。
古くは、戦前(=言葉も古いですね)「早川雪舟」(はやかわ・せっしゅう)が、ひところの
三船敏郎以上の人気があったといいますが、あまりにも古いので、知りません。雪舟の映画は
「戦場にかける橋」を見たくらいですが、堂々としていました。
男優中心に、一部紹介しますと・・・。
①筆頭は、”世界のミフネ”三船敏郎をおいて、ほかにおりません。
●「グラン・プリ」(1966年):イブ・モンタン、ジェームス・ガーナーなどと共演。F1グランプリ
(モナコ)を実写的に、ストーリーも交えて描いていました。主役ではなく、脇役でした。
●「太平洋の地獄」(1968年):リー・マービンと三船のみの異色作。映画の最初から最後まで、
2人以外は誰も登場しません。太平洋戦争当時、日本軍将校のミフネとアメリカ軍将校の
リー・マーヴィンが南海の無人島にそれぞれ漂着したことから始まる戦いが描かれます。
「太平洋の地獄」では、ミフネは日本語しか喋りません。孤島で出会ってしまった2人は、
敵対し、捕らえ合っているうちに、言葉が通じないながらも少しずつ協力関係が芽生えて
くというストーリー。
●「レッド・サン」(1971年):アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ミフネの三大
スター共演。世界のミフネが本格的に外国映画に出るということで、当時人気絶頂の
アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンと共演するということは大変な驚きでした。
(当時のアラン・ドロン人気は、”ブラッド・ピット、ジョニー・デップ、トム・
クルーズ”が、まとめて束になっても、かなわないカリスマ人気でありました。)
西部劇に侍が登場するという夢の企画の実現でした。日本人がみても、それほど
不自然に日本人が描かれなかったのは、ミフネのアドバイスが大きかったと聞いて
います。
②”三匹の侍”のテレビ・シリーズで、人気を得た丹波哲郎も、外国映画に出ています。
●「007は二度死ぬ」(1967年):日本が舞台ともなり、日本人として、丹波哲郎、若林映子 、
浜美枝 (いわゆる"ボンド・ガール)が出ていました。丹波というのは、英語が堪能で、
堂々としていますから、外国映画でも、見栄えがします。
セリフの長い映画はお断り、映画のオファーは2度断り、3度目に応諾するとか、エピソード
が多いが、極めつけは・・・。付き人が運転する丹波乗車の車がスピード違反で捕まった際、
付き人が警察に説得しても駄目だという時に、丹波が下車し「Gメンの丹波だが」と真顔で
警察官の前に立ちはだかったといいます。(効果は無かったそうです=残念。笑)。
③任侠映画の大御所、高倉健は「ザ・ヤクザ」に出演。
●「ザ・ヤクザ」(1974年):ロバート・ミッチャム(マリリン・モンローと共演の
「帰らざる河」で有名)、岸恵子と共演。義理と人情という日本的な観念で結ばれた
日米の男2人がヤクザ組織に立ち向かうサスペンス映画。
●「単騎、千里を走る」(2005年):高倉主演の「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)が中国公開
され、大ヒットし、高倉の名は、中国全土に知れ渡り、感銘を受けたチャン・イーモウ
監督(「LOVERS」)の希望で実現。寺島しのぶも共演。
④日本映画・演劇界の重鎮、仲代達矢も出ています。
●「野獣暁に死す」(1968年)=イタリア映画。マカロニ・ウエスタン。
⑤渡辺謙 (最近、ハリウッドづいています)
●「ラスト・サムライ」(2003年):トム・クルーズと渡り合いました。真田広之、小雪も共演。
●「バットマン・ビギンズ」(2005年):悪役に扮しました。
●「SAYURI」(2005年):幼い頃のチャン・ツィイーに慕われる"カイチョウ”役です。
桃井かおり、役所広司、工藤夕貴(「ミステリー・とレイン」が印象的)共演。
工藤夕貴は、本拠地が米国で、ハリウッド映画「ヒマラヤ杉に降る雪」など何本か
アメリカ・ハリウッド映画に出ているようですね。英語も本場仕込みです。
いろいろ、日本人の女優でも、アメリカ映画進出を目指したようです。テレビ映画で
島田陽子(楊子に改名)の「将軍 Shogun」における「マリコ」役の人気(1975-6年ごろ)
に迫る女優はあいにく、でていません。アメリカ人で、永く米国に住んでいる人で、
40代後半以上の人なら、Yoko Shimadaを知らなくともShogunのMarikoは、おそらくかなりの
確率で知っているでしょう。ものすごい人気でした。
もっと、米国映画や、欧州映画で日本人俳優が活躍してもいいのでは、と思います。