巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。戦後の球界に彗星(すいせい)のごとく現れ、巨人を不滅のV9へと導くなど、プロ野球を国民的娯楽へと発展させた立役者。数々のドラマと偉業に彩られた日本球界最高のスーパースターの「ミスタープロ野球」がその生涯の幕を閉じた。
1958年、東京六大学の立教大学から鳴り物入りで巨人軍に入団。開幕戦で国鉄のエース金田正一と対戦したが、4打席連続三振という衝撃デビュー。
しかしルーキーイヤーのこの年、本塁打と打点の2冠を獲得し、いきなり新人王に選ばれた。翌1959年6月25日のプロ野球初の天覧試合では、阪神・村山実から劇的なサヨナラアーチ。プロ野球の人気を不動のものとした。
<空前絶後のV9を達成>
王貞治とのON砲として1965~1973年の「V9」に貢献した。1974年に現役を引退するまで首位打者6回など輝かしい数字を残した。
<記憶に残る名スピーチ>
引退試合では「我が巨人軍は永久に不滅です」という名スピーチを残した。この時は、テレビでリアルタイムの映像を見ていたが、日本中のファンが涙した。
病に倒れたのは、2004年3月。脳梗塞(こうそく)により、右半身にまひが残った。壮絶なリハビリを経て、その後表舞台に復帰したが、2022年9月に体調不良で緊急入院。
以降は入院生活が続く中でも、巨人戦の観戦に訪れるなど衰えない野球愛を見せていた。最後に東京ドームを訪れたのは、今年3月15日の巨人とドジャースのプレシーズンマッチ。
大谷翔平との貴重な2ショットを披露していた。
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新人王や首位打者など高打率も注目されるが、華麗な守備も印象に残る。4番、サード長嶋とアナウンスされる通り、打者が三塁線に打つとそれを確実にグラブに収めて、一塁の王選手に投げる”サード・長嶋”の華麗なフォームをみせていたのがすばらしかった。
お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。
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