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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ラーゲリより愛を込めて」(瀬々敬久監督、2022)は運命に翻弄された2人の実話。

ラーゲリより愛を込めて」(2022)を見る。監督は「64-ロクヨン-前編/後編」の瀬々(ぜぜ)敬久、主演は二宮和也日本アカデミー賞で優秀主演男優賞と美術賞を受賞。

共演は北川景子松坂桃李桐谷健太安田顕中島健人寺尾聰市毛良枝渡辺真起子ほか。

昭和20年(1945年)で終戦を迎えても、捕虜としてハルピンに捕虜として11年間も強制収容所に入れられていた日本人がいて、真の意味の戦争は終結していなかった事実。

昭和30年ごろには「もはや戦後ではない」という言葉もあったが、現実には戦後50年といった言われ方もあったような気がする。さすがに、今は戦後78年という表現はないと思うが…。こうした歴史は記憶にとどめておきたい。

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昭和20年(1945年)、ロシア語が堪能で満鉄調査部に勤める山本幡男(二宮和也)は、妻モジミ(北川景子)と4人の幼い子供たちと共にハルピン(黒竜江省)で暮らしていた。
第二次世界大戦が激化する中、現地招集で兵士となった幡男は、終戦によりソ連軍の捕虜とされた。妻子はなんとか日本に戻れたが、ハバロフスク収容所(ラーゲリに送られる幡男。

日本軍捕虜たちは、程なくして帰国のためにシベリア鉄道に乗せられたが、途中で下車させられた幡男ら一部の兵士たちは、そのまま別の収容所に送られてしまった。

冬期には零下40度にもなる過酷なシベリアで強制労働をさせられる幡男たち。生きる気力を失い、荒んで行く仲間たちを「諦めるな!」と励まし続ける幡男。

だが、幡男は次第に体調を崩して行った。幡男をもっと設備の整った病院に移すために、ストライキで労働を拒否する日本人捕虜たち。

2週間で病院から戻される幡男。咽頭癌の末期で手の施しようがなく、余命は3ヶ月との診断だった。そんな幡男に遺書を書くことを勧める捕虜の団長。幡男は、1954年に45才で亡くなり、遺書を書いたノートは没収された。

1956年、ようやく帰国が叶う日本軍捕虜たち。

 

 

 

 

翌年から、一人また一人と幡男の家族の家を訪ね、幡男の妻モジミに記憶して来た幡男の遺書の内容を伝える収容所の仲間たち。

収容所では日本語の書類は没収されるので、仲間たちは幡男の遺書を分担して暗記していたのだ。

時は流れ2022年、孫娘の結婚式に参列した幡男の長男・顕一(寺尾聰)は、遠い昔に両親や兄弟たち全員で最後に揃って出席したハルピンでの楽しい結婚式を思い出し、どんな時にも人間らしく生きた父・幡男に思いを馳せて、幡男の言葉「今日という日を、よーく覚えておくんだよ」を新婦・由美(田辺桃子)に贈った。

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事実に基づくとあるようにシベリアでの日本人の抑留と家族について描いているが、遺書を渡せないので、仲間たちが遺書の一部を数名でそれぞれ記憶して、帰国後遺族に伝えるというところが印象的。

第二次世界大戦は1945年(昭和20年)夏、大日本帝国の降伏で終わり、メディア・マスコミはそれを「終戦」ととらえ「戦後○○年」という表現をしばしばしてきた。しかし「終戦」の後に始まった新しい戦争被害が多くあり、シベリア抑留もその一つだった。

シベリアにおけるラーゲリ強制収容所の強制労働の厳しさ、拷問などの一部を描いた映画としては「不毛地帯」(1976)があり、大本営参謀・壹岐正(モデル:瀬島龍三)は戦後11年間のシベリア抑留・強制労働を経験した。 

 

幡男とモジミが海辺でデートしていて、互いにプロポーズするタイミングがなく、振り返りざまに二人が同時に「結婚しよう」というシーンはほほえましい。

戦地で日本の兵隊になじんだ犬のクロが、日本兵たちが船で帰国する時に、氷の上を追いかけてくるシーンは、ハチ公並みに泣かせる(笑)。

 

<キャスト>
山本幡男:二宮和也
山本モジミ:北川景子
松田研三:松坂桃李
新谷健雄:中島健人
山本顕一(壮年期):寺尾聰
相沢光男:桐谷健太
原幸彦:安田顕
鈴木信二:奥野瑛太
高橋良太:金井勇太
竹下勝:中島歩
由美:田辺桃子
西野浩:佐久本宝
後藤実:山時聡真
山本顕一(青年期):奥智哉
坂口:渡辺真起子
佐々木:三浦誠己
片山:山中崇
松田静子:朝加真由美
玉田船長:酒向芳
山本マサト:市毛良枝

 

山本モジミ(北川景子)の家は埼玉県大宮市(現・さいたま市fpdと同じ)だった。

ラストのエンディングロールに登場する映像は、野球の練習風景などだった。

 
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■主人公「山本 幡男(はたお、1908年〈明治41年〉9月10日-1954年〈昭和29年〉8月25日)
第二次世界大戦終結後に旧ソビエト連邦によるシベリア抑留を経験した日本人の一人。日本への帰国が絶望的な状況下で、強制収容所ラーゲリ内の日本人俘虜たちに日本の文化と帰国への希望を広め、一同の精神的支柱になり続けた。自身は帰国の夢が叶わず収容所内で病死。しかし、死の間際に家族宛ての遺書を遺していた。同志たちがその文面を暗記することで日本の遺族へ届けたことでも知られる。
■「シベリア抑留
ソ連は1944年、日本と中立条約を結んでいた。しかし力による現状変更、国際秩序の破壊をやってのけるソ連(日本もそうだったが)は条約の期限が切れる前の1945年8月9日、日本の植民地でかいらい国家だった旧満州(現中国東北部)に攻め込んだ。さらに日本兵や民間人を自国領やモンゴルに拉致。最長11年間拘束した。これがシベリア抑留だ。

「DVD」にて鑑賞。

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