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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「パンと恋と夢」(1953)

 
 
パンと恋と夢」(原題:(イタリア)Pane, amore e fantasia、(英)BREAD, LOVE AND DREAMS、1953)を見た。
 
タリア映画の大監督だったヴィットリオ・デ・シーカが主演の会話もシャレた人情コメディ。映画はデ・シーカが、田舎の村の警察署長に赴任してくるところから始まるが、日本の役者でいえば、森繁久彌のようなイメージで、森繁の「警察日記」のようでもある。
 
共演は外人部隊(1953)」のジーナ・ロロブリジーダほか。地方喜劇で脚本家出身のルイジ・コメンチーニ街は自衛する)が監督した1953作品
 
原作は、映画批評家出身のエットーレ・マリア・マルガドンナマリア・マルガドンナ、コメンチーニ、デ・シーカの三人が共同で脚色。音楽は「ドン・カミロ頑張る」のアレッサンドロ・チコニーニ
 
共演はマリサ・メルリーニ、「貴女は若すぎる」のロベルト・リッソ、「ミラノの奇蹟」のヴィルジリオ・リエント、「ナポリの饗宴」のマリア・ピア・カジリオ、「ナポリの饗宴」のティーナ・ピカなど
 
ルイジ・コメンチーニ監督といえば「ブーベの恋人 (La Ragazza di Bube 1963)、「天使の詩」(Incompreso1966)、「ミラノの恋人」(Delitto d'amore 1974)などで知られるイタリアの監督。
 
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          ロバだけが財産という貧しいマリア(ロロブリジーダ)。
 
山の上の平和な村に新しい警察署長アントニオ・カロテヌート(ヴィットリオ・デ・シーカ)が赴任して来た。
 
村には“じゃじゃ馬”という仇名の気は強いが可愛い娘マリア(ジーナ・ロロブリジーダ)がいて、署長はこの娘の魅力にひかれたが、マリアは内気な巡査ステッルティ(ロベルト・リッソ)に恋心を抱いているのだった。そして署長は、向いの家に住む助産婦アンナレッナにも気があった。
 
村人がほとんど聖アントニオへ巡礼に出かけた日、ステッルティが司祭の姪パオレッタと結婚すると吹込まれた“じゃじゃ馬”は、露店で彼女と顔を合せて大喧嘩をはじめ、留置所に入れられてしまった。
 
だが翌日、“じゃじゃ馬”がステッルティを愛していると知った署長の粋な計いが実を結び、二人は森の中で互に愛を告白しあった。そして署長はアンナレッラの愛を獲得しようと努力したか、何故か彼女は受けいれてくれなかった。
 
         助産婦を自転車に乗せ、気持ちを伝える署長だが・・・。
 
聖母マリア祭で賑う夜、礼装した署長は敢然としてアンナレッラの家を訪れ再度求婚した。アンナレッラは、若気の過ちでなした子供がいることを告白したが、今や署長にとって、それは何の障害でもなかった。署長は彼女を抱いてバルコニーに出、祭を楽しむ村人たちみんなに嬉しそうに挨拶を送ったMovieWalkerから、一部訂正)
 
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オープニングは、山道を走るバスの後ろ姿を追っていく風景が映し出され、テロップが流れる。
 
「この物語はフィクションである。登場人物は警官だが人間味あふれる人物だ。皆さん同様に感じ恋をし苦しみもする。だがいくら人間であろうとやはり犯すことのできない規律が存在するのだ」。
 

この映画の邦題は、原題の
Pane, amore e fantasia=パン、アモーレ(愛)、ファンタジー(夢)の通りだが、署長が通りの軒下に座っている男に向かって何を食べている?」と聞くと、男は「パンですよ、だんな」と答える。「中味は?」と聞くと「夢が挟まっているんですといった会話がある(写真)。
 
署長(ヴィットリア・デ・シーカ)は、50代か還暦に近いような年代だが独身で、結婚をあきらめているわけではなく、生真面目だが、やや女好きで、自分の村での評判なども気にする。
 
年配の賄いの女性に「私の評判はどう?」と聞くと「いい人らしいとみんな言っています」という返事だった。「みんなというのは誰だ」とさらに畳みかけると、「みんです」という答え。
 
署長が聞きたかったのは、自分が好意を寄せている女性たち(若いマリアや助産婦のアンナレッラがどう思っているかということのようだった。
 
署長は憎めないあっけらかんとした性格で、マリア(ジーナ・ロロブリジーダ)との一件では、マリアと司祭の姪が、露店の衣類の取りあいを巡って、大げんかの仲裁に入ったときには、マリアを一日、留置所に拘留させてしまう。
 
これも、マリアに近づくためだった。あとで、司祭から、姪を拘留するべきだったと注意を受けることに。
 

マリアがあるとき小川で洗濯をしていると、自転車(電動付き)で署長が現われて、気軽にマリアに話しかける。
署長:「家に寄ったが留守だった。」
マリア:「家族全員、巡礼中よ。」
署長:「そうだったか。1人で怖くないか。」
マリア:「誰も私を盗まないわ
署長:「お前みたいな美人が1人 時には男も泥棒になる。」
マリア:「巡査に見張らせてよ」
署長:「そうしてやるか」といいながら署長はマリアの腕をつかんだりする。
拘留からマリアを開放するときにも、マリアの腕をポンポンと叩いたり触っていた(笑)。
 
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内気な巡査ステッルティ(
ロベルト・リッソは、マリアに恋心を抱いていたが、ことばにできずに、手紙を渡そうとしていた。ステッルティが、マリアに「手紙を」というと、「(あなた、)郵便屋さんなの。口を使えば」とつれない返事。
 
「これを読めば・・・わかるはずです」と言われたマリアは、しぶしぶ手紙を読むが、読んで態度が一変した。そこには、ステッルテがマリアを好きであることのほか、ステッルテの母親が出てきて、(未来の)嫁に会いに来るという内容だった。
 
じゃじゃ馬といわれたマリアに清純そうな笑顔が現われる。
村の年配の口うるさいおばさん連中は、マリアと署長とをくっつけたかったのだが、「これで良しとするか」と納得。「卵は新しいに限るというしね」というものもいた。日本のことわざの「畳と何とかは新しいのに限る」という表現に似ている。
 
一方、署長は、村の噂になることを気にしていたが、産婆のアンナレッラに告白。
アンナレッラは、独り身ながら、実は子供がいて、これまでにも苦い経験があるようで、署長に「うわさになりますから」と断ろうとするが、署長の口から出てきた言葉は、こうだった。
 
署長は産婆に夢中だ。これは事実です。」だった。
 
二階のバルコニーから、アンナレッラと署長が顔を出すと、どこからか「署長は産婆に夢中だ」という声が聞こえてきた。
 
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産婆(助産婦)というと、日本では年配女性のイメージが強かったが、この映画の産婆は、30代といったところか。ジーナ・ロロブリジーダが、留置場や野原などで歌を口ずさむシーンがあるが、とくに留置場で、ハミングするシーンは、思わず笑ってしまう。♪ウン・プラン、ウン・プラン、ウン・プラン~♪といったことばにならないが、日本でも浴槽で鼻声まじり唄うハミングにも似ている(笑)。
 
1950年代~60年代のイタリア人女優は、ソフィア・ローレン(「島の女」)をはじめ、ジーナ・ロロブリジーダ、シルバーナ・マンガーノ(「にがい米」)、クラウディア・カルディナーレ(「ブーベの恋人」)など野性味があり、気丈でバイタリティのある女優が多かった。ロロブリジーダもまだ未見作品が多いので、少しずつ進路を取っていきたい。
 
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