1948年に松竹入りして木下恵介監督に師事し、「荒城の月」で脚本家デビュー。1955年に女優の高峰秀子と結婚。1961年、聴覚障害者の夫婦の暮らしを描いた高峰さん主演の「名もなく貧しく
美しく」で初監督を務めた。
サリドマイド症の被害者本人が出演した1981年のセミドキュメンタリー映画「典子は、今」は、障害者の社会参加を描き話題を呼んだ。他の監督作に「ふたりのイーダ」「虹の橋」など。
小林正樹監督の「人間の條件」シリーズの他、「乱れる」「恍惚(こうこつ)の人」、一般公募に名乗りを上げて選ば
れた「人間の証明」など数多くの映画脚本も手掛けた。
昨日(3日付け)のスポーツ紙の小さな記事で知ったが、老衰で91歳というのは大往生ではなかったかと思った。2010年12月に亡くなった高峰秀子(享年86歳)とは夫婦として55年間、二人三脚で日本の映画界の一時代を支えた存在といえるかもしれない。
森村誠一原作の「人間の証明」の脚本は、プロ・アマ問わずとの条件で実施された公募に名前を伏せてあえて応じるという気骨を見せた。応募作品のほとんどが酷評される中、「いちばん修正しやすい」との消極的理由で入選作が決定。あとから、誰にとっても大先輩である松山の脚本だったということを選者たちが知り、高評価できずに気まずかったというエピソードもある。なお、最終選考に残った4点はすべてプロの脚本家か映画プロデューサーの応募作品であったという。
ご冥福を祈ります。
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