なでしこジャパン、決勝進出決める
日本女子サッカーチームが「女子サッカーワールドカップ」(ドイツ大会)で、決勝進出を決めた。快挙達成に、日本列島に明るい話題が駆け巡った。
正直なところ、Jリーグも含めて、サッカーには関心が薄く、まして女子サッカーの
女子代表は「なでしこジャパン」という愛称が定着している。
「日本代表」は男子のイメージで定着しており、オーストラリアの愛称(マルチダス)などにちなんで、公募した結果、2004年に決まり、アテネオリンピックのアジア予選(2004年)「大和撫子」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われていたので、世界に羽ばたく、ということで「ジャパン」とし、翌2005年に「なでしこJAPAN」として登録された。
2008年1月、コーチだった佐々木則夫が監督に就任すると、快進撃が始まった。
2010年1月チリ大会で優勝。東アジア女子サッカー選手権2010で、2連覇。11月の
そして、今回のドイツ開催のサッカーの「女子ワールドカップ(W杯)」。
なでしこジャパンが世界の頂点へ王手をかけたのだ。
日本代表は14日未明(日本時間)の準決勝でスウェーデンを3-1で破り、初の決勝進出を決めた。快進撃を引っ張るのが、15歳で代表入りして以来、3度の五輪と5度のW杯に出場してきた主将の澤穂希(ほまれ)選手(32)。
東京都府中市出身。米が不作だった年に生まれ、「稲穂がよく実るように」と名付けられた女の子は、幼い頃から活発だった。はいはいをするより早く、生後9カ月で立ち上がる。泥だらけになるまで外で遊ぶ日々。木から落ち、頭を縫っても泣かなかった。
15歳で日本代表デビュー。20歳から4年間は、レベルが高い米国に単身渡ってプレーした。代表同士の公式試合通算79得点は、男子の釜本邦茂さんを抜く日本歴代最多だ。経営難による女子サッカーの苦境が伝えられる中、先駆者として、司令塔として、長くなでしこを引っ張ってきた(ニュース記事より一部抜粋)。
佐々木監督の言葉が印象的だった。
「試合前に、選手たちにスライドを何枚か見せた。
それは、東日本大震災の写真だった。震災で、被災した人たちに、なんとか元気を与えるために・・・」だった。出版した本の印税はすべて被災者に寄付した。
快挙を成し遂げたなでしこたちは試合後、東日本大震災への支援に感謝する横断幕を掲げてピッチを回り、大歓声を浴びた。
澤選手はインタビューで語った。
「失点に絡んだので取り返してやるという強い気持ちだった。自分の夢、目標だった”アメリカとの決勝”。金メダルを持ち帰る」。
すでに、銀メダルは確定。
さらに色の違うメダルを日本全国民が期待している!
(朝6時にTVのスイッチを入れたら、結果は・・・・!)。
結果: キャプテンの澤選手の「公約」通り、アメリカを破り、金メダルを獲得した(7月18日)