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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">俳優:西田敏行(「丹波哲郎」のものまね)</span>


砂の器
 
今朝のTV番組「ボクラの時代」という番組で、西田敏行丹波哲郎のものまねをしていた!それがそっくりだった。西田の丹波のものまねは、よく知られている名人芸らしい。丹波の大ファンとしては、朝から気分がよかった?(爆)。
 

番組には、岸本加世子と、上島竜兵の3人が出ていた。
 
西田と岸本は、最近見た映画「星守る犬」で夫婦役で共演していた。この映画は、無縁社会になりつつある社会で、絆の大切さを示していた。福島出身の西田は、「原発は人災」とも語っていた。映画の撮影の時には、いわきの海岸は美しかった、というが、変わり果てた景色をどう感じたか・・・。
 
西田敏行と岸本加世子は、30年前にも、TVでも共演しており、「星守る犬」は、しばらくぶりの共演だったようだ。二人の演技論の一端がうかがわれて興味深かった。
 
西田敏行によると、「俳優の中にはわざとらしい演技をする人もいる」といい、腕を折り曲げて見せて(腕に覚えありのポーズ)いた。「そういうのは、鼻につく」と岸本。
 
「演じないことを演じている」(西田)を目指していると奥が深い(爆)。
「目標は”面白い”俳優」だという。喜劇でも、シリアスでも、こいつは面白い役者だというのを目指しているようだ。自然体がいいということを強調していた。
 
岸本加世子が、北野武監督作品に出演していたときに「監督からは、演技をしないでくれ、といわれた」(岸本)という。
 
竜平が、「芸人も役者も、長く続けるのは難しい。西田さんや岸本さんは、安定している」というと、西田は、「それは違う。安定したらダメだ」と切り返していた。
 
西田敏行は、大俳優になると、大御所となってしまう人がいるが、それが許されるのは、丹波哲郎くらいだと言っていた(爆)。
 
丹波は、豪放なイメージがある半面、ナイーブ(繊細)だったという。
西田が、心筋梗塞で倒れて入院していたときも、「近くに来たから」と最初に見舞いに来たのが丹波哲郎だったという。そこで、2-3分「ああ、大丈夫、大丈夫。元気になる」とひとこと言って帰って行ったという。
 
現場に来ても、あの独特な口調で元気に「やあやあ」とあいさつし、今日はどんな場面かと、台本も読まずに撮影現場に来るらしい(爆)。それを、西田が、丹波のものまねでしゃべっていた
 
それと同じ現場を目撃したことがある。
あれは197X年の2月ごろだった。
fpdが会社に入って1年足らずの時に、勤務する会社ビルの9階で、丹波主演の映画の撮影が行われたが、その場に、”助っ人”の一人として、撮影を見守るfpdの姿があった。
 
50人の外人エキストラが、国際会議室(ジュネーブの設定)の同時通訳のイヤホンをして、主演の丹波を待っていたときだった。 やあやあやあというような大きなジェスチャーをして、「ハーイ。ハウアーユー!」と入ってきた。なんという貫禄。これが、
007映画に出演した、あの「タナカ」丹波かと思った(笑)。
 
このころの丹波哲郎の代表作の1本が「砂の器」だった。
合同捜査会議のシーンで、本浦千代吉(加藤嘉)が生きていること、恩人だった巡査(緒形拳)との交信が何十年も続いていることを説明するシーンで、ハンカチで目頭を押さえる丹波の演技!(笑)。名シーンだ。
 
というわけで、音楽もすばらしい「砂の器」をまたまた持ち出したfpdであった。