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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「ダウト-あるカトリック学校で-」(2008)</span>

「ダウト-あるカトリック学校で -」(2008)の原題Doubtという言葉をGoogle翻訳
調べると(”ナイツ”だったら、ヤホーで調べたでしょうが)、10以上の意味がありました。

当然のように、ずらずらっと、以下のように・・・。

「疑い」「疑念」「疑問」「疑心疑い」「疑念」「疑問」「疑心」「不審」「疑義」「疑り」
「疑惑」「疑」「懐疑」「二の足」「気兼ね」「ダウト」。

この映画の内容から、どれが適しているか、ふと考えましたが、
「疑念」「疑心」「疑惑」というのが当てはまるかもしれません。
「気兼ね」などということは、決してありません(笑)。

邦題はあえて「ダウト」という映画タイトルで、それだけではわかりにくいので、
副題の「あるカトリック学校で」が刺身のツマのようにくっついています。



1964年のニューヨーク・ブロンクスが舞台。
時代は、新しい時代の旗手と見られたケネディ大統領が前年に暗殺され、
大きな転換期にあった。そうした波も確実にブロンクスにあった厳格な
カトリック学校、セント・ニコラス・スクールにも押し寄せていた。

校長のシスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、厳格で、伝統を重んじ厳しく生徒たちを
指導していた。ところが、そうした中でも、生徒からも人気のあるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、旧来の因習を排し進歩的で開かれた教会を目指うとしていた。

しかし、唯一の黒人生徒ドナルドと不適切な関係にあるのではないかという疑惑が持ち上がり、
シスター・アロイシスによる執拗な追及が始まるのだった・・・。

この映画で、15回目のアカデミー賞のノミネートとなったメリル・ストリープが、
またしても、すごい。あの「女・編集長」役(「プラダを着た悪魔」)も
”悪魔”のようにきつかったが、今回は、それをはるかに上回る!

対する神父役のフィリップ・シーモア・ホフマンは、いつもながら堂々として、
自身に疑惑(ダウト)を向ける校長と真っ向から戦う。

”疑惑”はなく、”潔白”だと神父も断言できないそぶりで、”個人的な問題”を抱えているような
発言があるので、展開が読みきれない・・・。

旧習と進歩、人種問題・・・さまざまな問題を提起しているが、疑惑が真実かどうかよりも、
変化を受け入れたくない、あるいは自分の地位・立場を脅かすものは排除したい・・・
という校長の固い決意のようなものも感じられた。






ウイークデーの金曜日の夜、仕事疲れもあり、睡魔に襲われつつの鑑賞となり、あれれという感じで終わった映画でしたが、二人の名優の激しい ”口撃”合戦は、一見の価値はあったですね。二人のはざまで、苦悩の表情を見せる新米のシスター役のエイミー・アダムスは、初々しくチャーミングでしたね(笑)。

☆☆☆