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<span itemprop="headline">NHK・BSプレミアム:「ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「落胆するのも人生の糧 グレース・ケリー」。</span>




ザ・プロファイラー ~夢と野望の人生~」(NHK BSプレミアム、9月30日21:00~21:59)の第4シーズンの第1回の番組「落胆するのも人生の糧 女優 グレース・ケリー」をみた。

MCは俳優・岡田准一。ゲストは、立川志らくはるな愛渡辺祥子

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       「裏窓」は、ヒッチコック監督が、グレースをカメラで抱くように捉えたという。
        カメラに向かって、このポーズはありえない(笑)という意見も・・・。

ダイアナ妃が憧れたという女優グレース・ケリー
その美貌から「ハリウッドのクール・ビューテイー」としてアカデミー主演女優賞を手にし、モナコ公妃へ。世紀のシンデレラ・ストーリーは世界中の女性たちの憧れの的となった。

しかし、その影には知られざる挫折と苦悩があった。
次々と引き起こす年上男性とのスキャンダル。どんなに銀幕で成功しても、認めてくれない父との確執。そして、女優としての才能の限界・・・!?

さらには、ヒッチコックから映画の誘いがあり、レーニエ公も、映画出演を許可したのだが、モナコ国民からは「モナコを捨てるのか」と大バッシング!

生涯、追いかけ回されたパパラッチの存在。そして元ハリウッド女優の肩書きが公妃として、母親としてのグレースを追い詰めた。

果たして彼女は幸せだったのか・・・?
謎多き、世紀のシンデレラの人生をプロファイルする。・・・という番組だった。

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映画「喝采」でアカデミー賞主演女優賞を授賞したグレース・ケリーだったが、その日は、一番寂しかった、と語った訳とは・・・。

それは、父親の一言だった。
グレースが女優になることに反対した父親・ジャックだったが、アカデミー賞を受賞した時に、記者の質問に応えた父親の発言は、グレース・ケリーをハンマーで殴るほど強烈なものだった。

それは「姉の方が何事もできて、先に有名になると思った」だった。
父・ジャックはスポーツでオリンピックで金メダルを取り、地元のフィラデルフィアでは名士だった。女優という職業すら認めていなかった父親が、女優の最高栄誉であるアカデミー賞主演女優賞を受賞しても認めず、交際相手を紹介してもことごとく無視していたのだ。

映画での「親子ほどの年齢差の年上の俳優たち(ゲーリー・クーパー、ジェームス・スチュアート、ケーリー・グラントなど)と浮名を流したのも、父親コンプレックスの裏返しだ」というのは立川志らく

グレースがモナコ公国のレーニエ公と結婚して、はじめてグレースを認めたという。
「反対する理由はないだろう」(父親ジャック)とはじめて喜んだという。

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グレースの苦悩は、モナコ王妃になってから続いた。
フランス語が話せず、モナコ国民からは、「火星人」のように見られたというのもきつい。ヒッチコック映画の誘いが有り、レーニエ公も理解を示したのだが、国民の反対が有り、同時に、フランスから支援を受けていたモナコに、金融危機が訪れた。これにより、フランスが支援を中止するというのだ。

その時に、グレースが女優を断念し、自ら前面に出て、モナコの”広告塔”になってフランスに出向き、モナコを救うよう申し入れ、外国からのモナコへの投資も継続させ、国を救ったのだった。これによりモナコ国民から絶大の信頼を得ることになる。


このあたりは、映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」に描かれていたので記憶に新しい。モナコ金融危機を救う切り札となったのが、ほかならぬグレースだった。1982年に52歳の若さで自動車事故で亡くなったグレース・ケリー

ヒッチコックと出会わなければ、女優として成功することはなかったとも言われている。「真昼の決闘」にしても、主役の引き立て役にすぎず、演技も認められていなかったグレースは、必死に演技も勉強し「喝采」で、演技派女優でないグレースが美貌をかなぐり捨ててぶつかったことが評価されたようだ。

人口23,000人の世界で二番目に小さい国「モナコ」を有名にしたのは、グレース・ケリーだとも言われている。観光とカジノ、自動車レースくらいしかないモナコだが、グレース・ケリーの名前は、モナコのバラの名前に「グレースのバラ」と名付けられ残されている。

グレース・ケリーの両親のしつけは厳しかったようだ。
出かけるときなどは、上品さ,品格を保つために白い手袋が必須だった。
「真昼の決闘」のオーディションでも白い手袋をはめて受けて合格した。

グレースの3人の子供にも、親から受けたしつけについて受け継いだ。
娘がジーンズでスニーカーというカジュアルな服装で、母グレースが宿泊する一流ホテルを訪ねた時に、コンシェルジュは、「その服装ではお通しできません」と告げた。「私を誰だと思っているの」とその場で、直接電話で母グレースに電話をすると、
グレースの返事はこうだった。

「そうよ。その通りよ。家に帰って着替えてからいらっしゃい」。

グレース・ケリーは、クール・ビューティの代名詞だった。

岡田准一日本アカデミー賞主演男優賞(「永遠の0」)を受賞、グレース・ケリーの気持ちが分かるという。一度の賞の受賞はラッキーという面が有り、二度目こそ本物かどうかという点の評価で重要という考えだ。というわけで、グレースも、もう一度女優復帰は願っていたのかもしれない。


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