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<span itemprop="headline">映画「巴里のアメリカ人」(1951) アカデミー賞作品賞など6部門受賞。</span>




映画「巴里のアメリカ人」(1951)を見た。
ジーン・ケリーレスリー・キャロンが主演で、ジーン・ケリーの歌って踊ってのマルチの才能に驚かされる。監督はヴィンセント・ミネリ、製作・配給はメトロ・ゴールドウィン・メイヤー

パリを舞台として、アメリカ人の画家とフランス人の女性の恋を描く。
映画のクライマックスには、ジーン・ケリーレスリー・キャロンジョージ・ガーシュウィンの楽曲「パリのアメリカ人」をバックに踊る18分間のダンスシーンは圧巻。

レスリー・キャロンは、バレリーナとして巡業中にジーン・ケリーに見出され、この映画がデビュー作となった。当時20歳で、演技はややぎこちなさが残っていたようだ。

このあと「足ながおじさん」ではフレッド・アステアと、「恋の手ほどき」ではモーリス・シュヴァリエと共演し、ミュージカル女優として活躍した。1953年公開の「リリー」でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、英国アカデミー賞主演女優賞を受賞。





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パリに住むアメリカ人ジェリー・ミュリガン(ジーン・ケリー)は、パリに留まって1人前の絵描きになることが望みだが、絵の勉強は一向に進まない。だが友人はたくさんできた。米国人のピアニスト、アダム・クック(オスカー・レヴァント)やフランス人の歌手アンリ・ボウレル(ジョルジュ・ゲタリ)たちである。

ジェリーの絵はさっぱりパリジャンにうけなかったが、モンマルトルで開いた個展を訪れた金持ちの米国婦人ミロ・ロバーツ(ニナ・フォック)は、彼の才能を認め保証人になってくれた。どうやらミロは絵よりもジェリーに思いがあるようだ。

ミロと一緒にキャバレーにいったジェリーは、愛くるしい清楚なパリ娘リズ(レスリー・キャロン)を見染めて一目惚れ、強引に彼女の電話番号を聞き出した。あくる日から、ジェリーとリズは逢いびきを重ね、お互いに愛し合う仲となった。

だがリズはアンリと内々に婚約していることをジェリーにかくしていた。
リズは戦争中両親を亡くしてからというもの、アンリの献身的な世話を受けてきたので、彼を愛してはいなかったが深く恩義を感じて婚約したのだった。

やがてアンリはアメリカへ演奏旅行に出発することになり、彼はリズに結婚して一緒に行こうと申し出た。リズはこれを承諾し、ジェリーにすべてを打ち明けた。

ジェリーが落胆したことはもちろんである。だがミロは却って喜んだ。
そのミロを連れて美術学生の舞踏会に出かけたジェリーは、そこでリズとアンリに会った。人影ないバルコニーで、ジェリーとリズは最後の別れを惜しんだ。アンリは偶然、2人の話を立聞きし、、2人が愛し合っていることを知った。彼は自ら身を引き、ジェリーとリズは晴れて結ばれたのだった(Movie Walkerより)。

この映画は、かつてテレビで見たような記憶があるが、通してみると、見ていなかったようだ。ジーン・ケリーの踊りはチャールストンからチャップリンのものまねまで自由自在に踊り、タップダンスで天才ぶりを見せつけている。

映画の冒頭では、ジェリー(J・ケリー)のパリの狭いアパートが映し出されるが、ベッドはヒモを引くと天井に収納され、小部屋の扉の裏側が引き出しがついていたり、食卓テーブルもコンパクトで、機能的。独身者らしく、慣れた手つきでものを扱うところが無駄がない。パリの街中もカラフルで、映像的にも印象に残るシーンが多い。

出演者:
ジェリー:ジーン・ケリー
アンリ:ジョルジュ・ゲタリ

脚本:アラン・ジェイ・ラーナー
 
アカデミー賞で「作品賞」「美術賞」「撮影賞」「衣装デザイン賞」「作曲賞(ミュージカル)」「脚本賞」の6部門を受賞した。ジーン・ケリーは1952年に「俳優、歌手、監督、ダンサーとしての多芸さ、特に振り付けの芸での輝かしい功績」のためにアカデミー名誉賞を受賞。これはジーン・ケリーの唯一のオスカーとなった。

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