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<span itemprop="headline">映画「夏の夜は三たび微笑む」(1955)イングマール・ベルイマン監督。</span>



イングマール・ベルイマン監督の「夏の夜は三たび微笑む」(1955日本公開
1957)を見た。先日見た「第七の封印」は、やや難解と言われる映画だったが「夏の夜は~」は、難しさ、硬さはなく、意外にもロマンチック・ラブコメディ(恋愛喜劇)だったから驚き。

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20世紀の初頭、スウェーデンの小都会に弁護士事務所を開業するフレデリック・エーゲルマン弁護士ンナール・ビヨルンストランド)は、昔はプレイボーイだったが今は、先妻の18歳になる息子ヘンリック(ビヨルン・ビェルヴヴェンスタム)のよき父であり、2年前に後妻に迎えた、現在19になる若妻アンウラ・ヤコブソン)の優しい夫であった

神学校の試験にパスした息子も帰省、女中の18歳のペトラ(ハリエット・アンデルソン)を加え平和な日を送るフレデリックが、彼に一つの秘密があった。

それはかつての愛人で、舞台女優デジレ(エヴァ・ダールベック)との関係が終わっていなかったことだった。その夜、数年ぶりに町に戻ったデジレの舞台を観に、フレデリックはアンと出かけた。

留守番は息子ヘンリックと女中ペトラ。ヘンリックは義母アンを慕っていたが女中ぺトラが腰を振りながら歩くなど、思わせぶりな誘惑にも気があった。デジレの舞台姿は相変らず美しかったが、デジレと夫との間を、うすうす感じたアンが頭痛を訴えたので、夫妻は早々に帰った。

しかしフレデリックは家を抜け出し再びデジレの楽屋へ行き、誘われるままに彼女の家へ行く。ところがデジレの現在のパトロンで軍服姿のマルコム伯爵ヤール・キューレが不意に訪れ、弁護士は寝巻姿のまま追返されてしまう

だが内心デジレはフレデリックに深い愛情を感じていた。
やがて弁護士夫妻は、デジレのパーティに招かれた。ヘンリックとペトラも付添って来たが、その席にはマルコム伯爵夫妻も招かれ、互いの間に緊張感が漂った

酒宴の冗談は、伯爵夫人が弁護士を誘惑できるかどうかの賭に発展、伯爵は、夫人が勝てば何でもやると約束する。

しかし、そのうちヘンリックは大人たちの偽善に満ちた会話に憤って一人そこを飛出してしまう。ところが、その彼は庭園で戯れるペトラと御者の姿を見て、僧侶になる我が身への恨めしさから首を吊ろうとするのだった

しかし紐(ひも)が切れて落ちたとたん、そこに秘密の仕掛があったため、からくりから隣の部屋に休んでいたアンがベッドごと現われたのだ。不意の出来事からヘンリックとアンは結びつく。



一方、伯爵夫人は、庭の東屋にフレデリックを訪ねる。

すると、そこへ伯爵が乗込み弁護士に決闘を申出る。ロシアン・ルーレット”(銃に、一発だけ弾丸が込められており交互に、自分に向けて撃つというもの)による決着だった。フレデリックの番になった時に、銃声が大きく響く。

倒れたのはフレデリックだった伯爵夫人らは驚くが、彼は生きていた。
拳銃の弾の代りに煤(すす)が詰めてあったのだ。伯爵は「本物の弾など入れるはずがないだろう」という。(すす)で真黒のフレデリックはデジレの手に抱かれ今こそデジレが自分に似合う女と知った。

しかし、これこそフレデリックを想うデジレの策略であり、今宵のパーティの狙いでもあった。伯爵も夫人のに戻り、同じ頃ペトラは草の上で御者に結婚を誓わせていた。北欧の夏の夜は微笑みつつ明けて行った
 
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映画のタイトルは、詩的な表現となっている。
このタイトルの言葉は、終盤の御者が女中のぺトラに語る言葉の中に出てくる。

「夏の夜の微笑みは三度。最初は、真夜中と夜明けの間だ。若い恋人たちが、心と体を開く。空の果てるところに微笑みがある。目を凝らさないと見えないぞ。ロマンチックだろう」だ。「二つ目の微笑みは、救いのない間抜けや、愚か者のために。オレたちのためだ。」「三度目は、悲しい者、虐げられた者、夢やぶれた者のための微笑みだ」というところから来ている。

結局、フレデリックの新妻は、フレデリックの息子ヘンリックと、フレデリックは、元カノの舞台女優デジレと、女中のぺトラは、御者とそれぞれの人生を歩むことになり、丸く収まるという話。

フレデリックは、先妻を亡くしたあと、親子ほども年の離れたアンとの2年間の結婚生活だったが、「アンが自発的にその気になるまでは」ということで、アンには手をつけなかったと語っている。アンは、女中のぺトラが経験が豊富なので、聞いたりしていたが・・・。

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ベルイマンは、製作者から、今作品(「夏の夜は三たび微笑む」)が興行的に成功しなければ、次はないと言い渡されていたといい、小難しい映画は撮れなかったとも言われていたようだ。だが、一旦成功を収めてからは、そのあとは自由に映画を撮ることができたようだ。

この映画は、公開当時からスウェーデン国外での評価も高く、翌1956年カンヌ国際映画祭パルムドールにノミネートされた。パルム・ドールの受賞は逃した、同年に特設された「詩的ユーモア賞」を受賞、ベルイマンは一躍国際的な知名度を高めることになった

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