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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「舞踏会の手帖」(1937、フランス)ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の名作。

 
 
フランスの名監督ジュリアン・デュヴィヴィエの「舞踏会の手帖」(1937)を見た。
この映画はVHSビデオを持っていたが、途中で断念しVHSも処分、今回通してみた。

 

36歳で未亡人となった若いクリスティーヌ(マリー・ベル)が、16歳の時に初めて参加した時の舞踏会で、クリスチーヌに一度は「一生、愛する」という言葉をかけてきた踊り相手の男たち。富豪で年配の夫に死別した女性が、20年前の手帖に残した8人の男性を次々とを訪ねて歩く、まさに舞台劇を思わせる物語である。
 
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秋も終わろうとする11月のコモ湖畔(イタリア)にある厳かな古城は、霧が立ち込めて憂愁な雰囲気だった。湖畔にヨットが浮かんでいた。
 
36歳になるクリスチーヌ(マリー・ベル)は、年の離れた夫の葬儀を済ませたばかりである。非常に人の良い夫ではあったが、年の差によるものかクリスチーヌは夫に愛情を感じないままに終わった。
 
美しい若妻をいとおしむ余りに、生前の夫は彼女に誰とも交際も許さなかった。
クリスチーヌは過ぎた20年間の結婚生活に、青春の悦びを味わった事のない淋しさを感じていた。
 
夫を失ったクリスチーヌは誰ひとりの身寄りもなく、訪ねるべき友いなかった。だが、まだ若い。もう一度人生を新しく出直そう。彼女は、そう決心したのだった。

クリスチーヌは夫の形見をすべて召使達に与え、思い出の品を暖炉に投げた。
その中から、ふと取り落とした一冊の手帖があった。
 
 
それは、クリスチーヌが一人前の女として初めて舞踏会に出た時の、ダンスをした相手の男の名前を書き記したものである。彼らの誰もが、若いクリスチーヌに愛の言葉をささやいたのだった。「一生、愛します」という言葉が、クリスチーヌにかけられたのだった。

あの時の10人の若者達は、今はどうしているのだろう。想い出そうとしても20年の歳月は、すっかり記憶を消してしまっていた。

いや、そうではない。あのジェラールを、どうして忘れられることができようか。
彼は、その時18歳だった。金髪で、ギリシャ神話の神の様に美しかったジェラール。16歳のクリスチーヌが秘かに愛を感じたジェラールである。

クリスチーヌは目を閉じた。まぶたに浮かぶのは美しいシャンデリヤの下で、甘いワルツの曲に乗って、白いレースの裳も軽く踊りに酔った20年も昔の舞踏会だった。

亡き夫の秘書であったブレモン(ベナール)に頼んで、10人の男達の住所を調べて貰うと、その内の2人は既に他界。そして皮肉にも、ジェラールだけが住所が解らないという。

クリスチーヌは旅装を整えた。
最初に訪問したのは、ジョルジュ・オーディエの家だった。
出迎えたのはジョルジュの母のオーディエ夫人(フランソワーズ・ロゼー)だった。
 
夫人はクリスチーヌと対座すると、「あなたはクリスチーヌでしょう、いまはジョルジュは戻ります、是非会って、あなたの娘さんと結婚させて下さい」と言う。
 
 
ジョルジュは、20年前、クリスチーヌが婚約すると聞いた時に自殺したのだった。
動転した母親はその死亡通知も出さなかったので、クリスチーヌも今初めて知ったのだ。気の狂(ふ)れた母は、息子が生きていると思い込み、息子の亡霊と暮らしていたのだった。10数年前に思考の止まった息子の母親は、苦悩を紛らわせるために狂気を装っているだけなのか。出だしからショッキングなストーリーだった。

次にピエール・ヴェルディエを訪ねていくと、ピエールは、キャバレーの経営者となっていて、名前もジョー(ルイ・ジューヴェ)と変えていた。ナイトクラブを経営するかたわら、強盗団の親分となって、前科者になっていた。クリスチーヌが訪問すると、「金かい?困ったとき、客を取りたければ、名前をクリクリに変えて、若作りしろ」と言う始末。「勘違いしていた」とクリスチーヌが言うと、「昔のよしみで、金の無心かと思った」とピエール。
 
 
ヴェルレーヌの詩を熱烈に暗誦した20年前の面影は、完全になくなっていた。
弁護士は2年でやめて、出所後、今の仕事を始めたというピエール。
 
クリスチーヌが「凍てつける公園を、影ふたつ過ぎ去りぬ」という詩を伝えると覚えていて、その後半の部分「古き愛を 今も思うやと・・・我が名に胸が高鳴るか」と口にした。さらに、クリスチーヌは続けて「草分けて行きし ふたりの 風のみぞ知る その言葉」。
 
その時、警官が踏み込んできた。ジョーは、クリスチーヌに「連行されるのはジョーだ。ピエールはきみに残す」。悪徳酒場を経営する元弁護士で、クリスチーヌが金の無心に来たのだと思い込む。自分を尺度にして他人を観る、人間の浅ましい習性が皮肉。やがて旧交を取り戻したのも束の間、目の前で警官に逮捕され連行されて行く。法を守るべき人間が法に背いた顛末を皮肉っているのかもしれない。

ピアニストだったアラン・レニョオル(アリ・ボール)を訪ねると、今は髪の毛もなく神父ドミニックと変身していた。当時は40歳の音楽家志望だった。
 
 
児童聖歌隊に讚美歌を教えているこの老僧も、かつある令嬢を想って死のうとした事もあったという。愛する女性のために捧げた演奏「希望の日のソナタ」を書いたが、その令嬢は、隣の男と談笑していたので、諦めたという。その人は16歳だった、私は40歳で乱れた青春でしたと語った。クリスチーヌは「私がその方と会ったらなんと?」というと、こう伝えてくださいという。「令嬢は今も私の心の中に生きている」と。初めて聞かされた言葉にクリスチーヌの心はまた痛むのだった。
 
続いて、アルプスに登ってエリック・イレヴァン(ピエール・リシャール・ウィルム)に会った。詩人を志していた彼は、今は山案内人である。エリックは「女性の華やかなエリックは30で終わったよ。今は、山に住み、山に生きている」だった。
 
昔を語り合って、2人の心は溶け合った。彼となら新しい生活を伴に出来るかも知れない。そんな仄かな希望を抱いた時、エリックは雪崩の警鐘を聞くと彼女を置いて義務を果たしに出て行った。クリスチーヌは、「あなたの奥様は、山。それでいいのよ。お元気で」という置き手紙を残して去った。

南フランス海岸の田舎町では、政治家志望だったフランソワ・パテュセ(レイミュ)が町長をしている。クリスチーヌが訪れた日、フランソワは女中のセシルを後妻に迎える結婚式に忙しかった。「女中を女房にすると、女中がいなくなる」とフランソワ。フランソワは威張りきっていて、「町長は神様の次に偉いんだ。やむなく結婚だ。今日は、給金のかわりに、私の姓をやる」。そんなフランソワも、「昔は、ジュテームと口走った。他の女と結婚しても、心はクリスチーヌ」で、自殺未遂も図ったことがあるという。

マルセイユで医師チェリー(ミリー・マチス)を訪れたが、秀才だった彼は既にアルコール中毒の堕胎医だった。サイゴンなどにも住んだことがあり、クリスチーヌの事も、完全に記憶を失っていた。クリスチーヌが、”旧友”を訪ねているというと、苦悩と希望との連続で、昔のことを思い出すのは恥ずかしいが、必要なのはわずかな友情だった、と勇気が湧いたという。
 
 
真面目で秀才だった医学生は戦場で片目を失い、もぐりの堕胎医に落ちている。訪問した彼女の顔もろくに見ず、患者と思い込み治療をしようとする。老いた元歌手の妻との荒れた生活。左右に傾く不安な画面が、彼の心の荒廃を表現していて哀れだ。

そしてクリスチーヌは、生まれ故郷で理髪師になっているファビアン(フェルナンデル)と会った。ファビアンは、自分の娘に、クリスチーヌという名前をつけていた。日曜の夜の舞踏会へ出て見た。寂れた舞踏会だった。
 
 
幻滅と共に帰宅したクリスチーヌは、ジェラールが湖の対岸に住むと初めて知って訪れた。しかし、彼は1週間前に死んでいた。クリスチーヌは、その忘れ形見のジャック(ロベール・リナン)を養子に迎えた。ジャックは、亡きジェラールに瓜二つだった。クリスチーヌの心には、何か母性愛に似た愛情が芽生え始めていた
 
ジャックは、今夜が初舞踏会だった。クリスチーヌは「初舞踏会は、初タバコのようなものよ」と笑顔で、ジャックを送り出すのだった。
 
この映画には、当時の映画界では最高の俳優・女優が出演している。
ミモザ館」「「女だけの都」「外人部隊」などの大女優フランソワーズ・ロゼーのほか、「どん底」などのルイ・ジューヴェ、フェルナンデルなどである。
 
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このブログのタイトルの「映画スクラップ帖」のは「黒革の手帖」説もあるが、「舞踏会の手帖」からの説が有力である。
 
 
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