「フランス式十戒」(原題:Le Diable Et Les Dix Commandements、1962)は「望郷」「舞踏会の手帖」など数々の名作を世に送り出したフランス映画界の名匠ジュリアン・デュヴィヴィエの作品。モノクロ、144分。アラン・ドロンが出演した「悪魔のようなあなた」(1967)がデュヴィヴィエの遺作。原題は「悪魔と十戒」。
”フランス式“十戒は、昔から伝わるキリスト教徒の「十戒」のそれぞれについて、独創的な考察を加え、現代風俗の中に描いたブラックコメディ。フランス式ユーモアが満載されて退屈させない。フランソワーズ・アルヌールの美貌が印象的。
出演者は当時のフランス映画界の代表的なスターのほとんどが出演している。
「太陽はひとりぼっち」のアラン・ドロン、「ヘッドライト」のフランソワーズ・アルヌール、「血とバラ」のメル・フェラー、「赤と黒」のダニエル・ダリュー、「女は女である」のジャン・クロード・ブリアリ、「パリジェンヌ」のダニー・サヴァル、「舞踏会の手帖」のフェルナンデル、シャルル・アズナブール、ルイ・ド・フュネスなど。
内容は8つのエピソードに分かれ、それぞれを蛇の姿をした“悪魔”の狂言まわしの語り部がつなぐといった趣向。
蛇の姿の悪魔だが、気持ち悪い(笑)。
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【なんじ神の名をみだりに呼ぶなかれ】
修道院の雑用係をしているジェローム(ミシェル・シモン)老人の口癖は「神もヘチマもあるものか」だ。これを聞いた修道女は神を冒涜しているとして眉を顰(ひそ)める。
十戒にも「神の名をみだりに呼ぶなかれ」とあるように、この癖はどうにも具合が悪かった。
この癖が原因であわや追い出されようとしていた時、司教(L・バル)が訪れてきた。司教はジェロームの小学校時代の同級生だった。司教と小学校時代の悪ガキだったころのエピソードを思い出しながら笑いあう。
それまで神妙な面持ちだった食事の席についていた修道女たち全員がおかしさに右に倣えと笑うのだった。司教は、ジェロームに十戒を記憶するよう命じた。
ジェロームは昔から記憶力が悪く、 “神もヘチマもあるものか” という言葉が癖になって出てしまうのだった。
【「なんじ姦淫するなかれ」「なんじ結婚のほか肉の行いを求むるなかれ」】
悪魔が人間を誘惑する武器は…女。ダンクール青年(アンリ・ティゾ)もこの悪魔の化身に魅入られてしまった。クラブにいる“タニア”(ダニー・サヴァル)というのが女の名前。青年はダンサーのタニアをもとめてクラブに通いつめた。28回目の夜、ついに女は彼の前から姿を消した。
クラブの仲間の女にタニアの住所を聞き、捜しあてたのは立派なビルだった。何とタニアは管理人ポロ(ロジェ・ニコラ)の妻モリセットだった。
青年に妻を絶讃されたポロは、買物かごをさげて帰ってきた妻をみて一人喜ぶのだった。美しい夢を抱いて来た青年は、まさしく管理人のおかみさんになりさがったタニアをみて、あわてて退散した。
【なんじ殺すなかれ】
麻薬にむしばまれ身体を売り、力つきた女が、遺書を修道院にいる兄ドニ(シャルル・アズナヴール)にたくして自殺した。復讐の決意に燃えたドニは僧衣を脱ぎレストランのボーイになった。友人の刑事ルイ(モーリス・ビロー)の協力を得て、街の顔役ガリニー(リノ・ヴァンチュラ)に、ボーイのドニは売春強要、麻薬、人身売買の証拠をつきつけた。
案の定、手帳を買い取るというガリニーを自室に呼び寄せたドニは、手はず通り友人の刑事に手渡そうとした。その時足もとの猟銃はドニをめがけて火をふいた。
入れかわりに入って来た刑事ルイはガリニーの手に手銃をかけた。全てドニの計算通りだ。「うまくいった…」と声に出すとドニはそのまま死んだ。
【なんじ人の持物を欲するなかれ】
フィリップ(メル・フェラー)は恋人ミシュリーヌ(M・プレール)に高価な宝石を買い与えた。それは、もちろん別れ話の手切れ金のつもりだ。宝石は女には不思議な魔力を示すもの。
フィリップが次ににらんだのは、ミシュリーヌの友人のフランソワズ(フランソワーズ・アルヌール)。彼女もゴージャスな宝石のとりこになって即座に彼の恋人になった。そのため夫にそれを認めさせるために大芝居をうたなければならない。
安物のネックレスを2ダース買い本物をその中にまぎれこませてバッグに入れ、駅の一時預りにあずける預り札を拾ったと作り話をした。
フィリップは「よし俺がとってくる」ととりにいった夫が中をあけて「なーんだ安物じゃないか」と、これで成功するはずだったが、フランソワズの留守にミシュリーヌが来ていた。帰って来たフランソワズがみたのは、友人の胸にさんぜんと輝くダイヤだった。
【われはなんじの主なり。われを唯一の神として礼拝すべし】
黒いマントにチェックの襟巻、異様な男(フェルナンデル)が一軒の家に入って行くのを見た少女は男に尋ねた。「あなたはどなた?」「神様だ」。
そばで聞いていた老婆(G・ケルジャン)がまさに苦労の連続だった一生を閉じようとしていたが、そんな彼女にとって、神様など信じられるはずもなかった。
老婆の夫の老人は車いすを装っていたが、実は歩けるのだが隠していた。
神様という男は、老人に立ち上るよう何度か促すと、老人は歩き出した。奇跡が起きたと思い込んだ老婆はその場で静かに息を引き取った。
男は春風にマントをひるがえして去って行った。男の後から走って来た自動車が男を車に乗せた。車には“精神病院”の四字があり、男を乗せて走り去っていった。
【「なんじ父母をうやまうべし」「なんじ偽証するなかれ」】
青年ピエール(アラン・ドロン)の憂うつは、父母の仲が悪いことだ。くさった彼は、不満を父親マルセル(ジョルジュ・ウィルソン)にぶちまけた。その時、父親がもらした一言「あれは本当の母親ではない」に大きなショックを受けた。
本当の母親は、名女優クラリス・アルダン(ダニエル・ダリュー)だと言うのだ。パリに飛び母と面会したピエールは、今度はクラリスから「マルセルは本当の父親じゃあないんだから」という言葉が返ってきた。
16歳の頃、子供を生んだ憶えはあっても父親が誰か思い出せないというのだ。二度ショックをうけた青年ピエール。わが子でない子の失跡を心配している家庭へ帰ってゆくより仕方がなかった。
【なんじ盗むなかれ】
ディディエ・マラン(ジャン・クロード・ブリアリ)は本日をもってクビを言い渡された銀行員。その日、窓口にピストルをつきつけてゼニを出せとすごむ小男。
彼と顔見知りの寺男バイヤン(ルイス・ド・フュネス)だ。一儲けしようと思いついたマランは札束を鞄につめて、逃がしてやった。
警察が必死の捜査を続ける間、彼はバイヤンの家に忍びこみ鞄をもって逃亡した。犯人のバイヤン、被害者のディディエは、しばらくにらみ合った末「よしヤマ分けでゆこう」と鞄を開けると、中身はブドウ酒とソーセージ。ディディエの立ち寄ったカフェでとりかわってしまったのだ。
一方、ブドウ酒を飲もうと思って、鞄を開けた男は、中に札束がごっそり入っていてびっくり。物陰で確認しようとすると、周りには警官が取り囲んでいた。ブドウ酒を飲もうとしたら、お金が入っていたと釈明するが、「警察で話を聞こう」。
【なんじ安息日を聖とすべし】
十戒を憶える仕事を背負わされたジェローム老人(ミシェル・シモン)。日曜日もさかんに十戒を読み込んでいた。そのあいの手はブドウ酒。「おーい、酒だ!」そのたびに家政婦のディルフィーヌ(M・クレルバンヌ)「今日は安息日なのに…なんのために十戒をおぼえているのやら」と嘆息するのだった。
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一つ一つのエピソードは、十戒にまつわるエピソードだが、最初の場面が最後に再び登場して、まとまりを見せている。
ドロンが生みの母を訪ねると、母親は「16歳だったから、父親が誰かもはっきりわからない」というおおらかさ(笑)。
フランソワーズ・アルヌールは、昨年の7月に90歳で亡くなった。この映画で出演した俳優はアラン・ドロン(86)を除いてほとんど亡くなった。これだけの豪華俳優が出演している映画も珍しい。
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