Indiscretion of an American Wife(「終着駅」のオープニングシーン)
監督ヴィットリオ・デ・シーカ。
主演は、ジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフト。
英国の名作「逢いびき」に匹敵するほどのメロドラマをイタリアで作ろうということで、製作された。デ・シーカ監督は、戦後の1940年代後半に「靴みがき」「自転車泥棒」などで、イタリア映画の流れを変えた”ネオレアリズモ”の創始者のひとりといわれる。ほかには、ロベルト・ロッセリーニ、ルキノ・ヴィスコンティらがいた。
”ネオレアリズモ”とは、新しいリアリズムという意味のイタリア語。
現実(貧しさや社会的矛盾)を直視し、ドキュメンタリー的な撮影方法、ロケーション中心の現場主義、即興的な演出などがその特徴である。
1950年代に入り、イタリア社会の経済復興にともなって映画芸術運動としての”ネオレアリズモ”は、解消に向かってき、”ネオレアリズモ”後の新たな展開を模索していた時期の作品だが、そのリアリズムはまだ随所にみられた。ハリウッドの大プロデューサー、セルズニックとの合作映画となった。
「テルミニ駅」を終着駅としたタイトルは、よかったと思う。
奥村チヨの同名の歌もあるが、映画のほうが断然早い(笑)。
物語は、ローマ・テルミニ駅(映画の原題:イタリア語Stazione Termini(テルミニ駅);英語Indiscretion of an American lady(アメリカ人女性の軽率な行為)を舞台にアメリカ人の人妻、メリー(ジェニファー・ジョーンズ)とイタリア人青年(モンゴメリー・クリフト)との離別を描いたメロドラマ。 メリーとイタリア人青年とのきめ細かな恋愛描写はもちろんだが、二人をとりまく駅を行き交う様々な人々(スリや酔っぱらい、出稼ぎ家族・・・)もリアルに描かれていた。 ドラマの進行時間と映写時間が一致していて、まるでドキュメンタリー映画を見ているような錯覚を覚える。まるで、観客がテルミニ駅にいる乗客になったような気分にさせられる。この映画をはじめてみたのは、深夜のテレビ洋画放送だった。学生の頃だっただろう。 ジェニファー・ジョーンズのなんと美しいこと!(「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンとは、また違った、控え目でありながら情熱的な表情、揺れる女心?などに、ときめきを覚えたような気がする。ドキドキする鼓動まで聞こえてきそうだった(笑)。その前後に見た「慕情」のチャイナ服のジェニファーもよかったが、どちらかといえば「終着駅」がよかったかなと(爆)。おいの役を演じているのは、まだ無名だった頃のリチャード・ベイマー(「ウエストサイド物語」の主役トニー)だった。 モンゴメリー・クリフトは、エリザベス・テーラーと共演した「陽のあたる場所」などで人気を得ていたハリウッドの二枚目で、美男・美女の共演で、日本でも大ヒットとなった(ようだ)。 甘いメロドラマと言ってしまえばそれまでだが、メロドラマの原点のような作品。 ☆☆☆☆ |