引田 天功(ひきた てんこう)というと、どうしても「初代」(1934年7月3日 - 1979年12月31日)
のイメージが強い。28年前に亡くなって、引き継いだのが「女性」の「引田天功」(プリンセス
テンコー)であったと知ったときは、驚いた。
初代は、横浜市生まれの奇術師、催眠術師で、”脱出王”の異名を取っていたようた。
日本大学工学部卒業。師匠は松旭斎天洋。
とくに、テレビなどでみせた芸は、水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックなどだった。
1968年から1975年まで7回にわたって日本テレビの特番として放送された脱出イリュージョンは
「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」
「油地獄水面炎上大脱出」といった従来のマジックからは考えられないほどのスケールの
大きさで毎回高視聴率を記録した。
これが日本中に脱出ブームを巻き起こした。1969年にはフジテレビ系のテレビドラマ
「フラワーアクション009ノ1」にレギュラー出演もした。彼の死後プリンセス・テンコーで
知られる二代目・引田天功が襲名した。
45歳という若さで亡くなったことから、「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」
(別説では「煙を吸い込んで、肺を痛めたため」)という伝説があったというが、
死因は病気によるものであったという。
イリュージョンを日本で紹介した最大のマジシャンであったことは間違いない。