(1959年当時)
ソフィア・ローレンは、1934年9月20日にローマに生まれ、現在85歳。
ソフィアの母ロミルダは、かつて女優を夢見ていたが、娘ソフィアとその妹マリ―アとナポリの町ポッツォーリの実家で質素に暮らしていた。
ハリウッド映画「クォ・ヴァディス」のオーディションがあると知り、ロミルダは娘ソフィアとローマの撮影所へ向かう。
1950年、16歳の時に「海の女王コンテスト」で12人の中に選ばれ、その賞金で演劇学校に通い、同年「クォ・ヴァディス」(クレジットなし)の端役で映画デビュー。そのころ映画プロデューサーのカルロ・ポンティとの出会いが彼女の運命を変えることになる。
1954年、ミュージカル「ナポリの饗宴」で新進女優として注目され、翌1955年「河の女」では、その野性的な魅力で一躍有名になった。映画音楽「マンボ・バカン」は大ヒット。「河の女」の製作はカルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティスだった。
1957年にはハリウッドへ進出。「島の女」でアラン・ラッド(「シェーン」)と共演、国際スターの仲間入りを果たす。この映画は、第30回アカデミー賞で作曲賞にノミネートされた。
ハリウッド映画では「誇りと情熱」(1957)で、ケーリー・グラント、フランク・シナトラらと共演、「黒い蘭」(1958)「月夜の出来事」(1958)、「私はそんな女」(1959)「西部に賭ける女」(1960)「ナポリ湾」(1960)に出演した後、「ふたりの女」(1960)では、ついにアカデミー賞主演女優賞を獲得。「ふたりの女」は英国アカデミー賞主演女優賞も合わせて受賞した。
チャールトン・ヘストンとの共演による歴史劇「エル・シド」(1961)、「戦場を駆ける女」(1963)のあと、長年名コンビとなるマルチェロ・マストロヤンニと共演した「昨日・今日・明日」(1963)に出演。監督はヴィットリオ・デ・シーカで、ソフィア・ローレンとは「ひまわり」など多くの名作を残した。
「ローマ帝国の滅亡」(1964)「ああ結婚」(1964)「クロスボー作戦」(1965)「レディL」(1965)「アラベスク」(1966)「イタリア式奇跡」(1967)、チャップリンの遺作となった「チャップリンンの伯爵夫人」(1967)に出演。「伯爵夫人」は失敗作といわれ、ブランドとソフィアは険悪な雰囲気だったという。ブランドが相手では、仕方がないか(笑)。
1950年代半ばから1960年代にかけて大女優となったソフィア・ローレンが「ひまわり」(1970)で、文字通り、大輪の花を咲かせるように、日本中を号泣させる作品を生みだしたのだ。ソフィア・ローレンは老けメイクとはいえ、この時、まだ30代半ばだったというのも驚かされる。
(つづく)