アウシュビッツ収容所でユダヤ人虐殺を行ったゾンダーコマンド(特別労務班)たちを描いたハンガリー映画「サウルの息子」(2015)を見た。第88回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞。また、ハンガリー映画としては史上初めてとなるゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞。
「すごい」「壮絶」「恐ろしい」…では表現できない”凄まじい”映画。
ハンガリーの自身がユダヤ系のネメシュ・ラースロー監督の長編デビュー作。
ルーリグ・ゲーザ主演。
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同じホロコースト映画では、「シンドラーのリスト」が有名で「シンドラー・・・」ではポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描いていた。
ユダヤ人の殺戮にドイツ・ナチスが自分の手を汚さずに、ユダヤ人にさせていたというところが恐ろしいところ。ホロコーストの大量虐殺というのは、極秘裡にすすめられていたナチスの作戦で、万一その事実が明るみに出た時にも、非難をされずに済むようにしていたようだ。
ゾンダーコマンドになると、ガス室行きは免れるが、やがてゾンダーコマンド自身も最終的に抹殺されるといううわさが広まっていく。当然、生き延びるために脱走を図ろうという動きも出てくる。
「何をしようとていた」と問い詰められるサウル。
多くのユダヤ人にとっては「カポ」というのは裏切り者のわけで、ゾンダーコマンド同士の会話は極端に少なく、細心の注意が払われていたのだった。
ゾンダーコマンドたちが「作業前に消毒のシャワーを浴びるから、全員(男も女も子供も)裸になって衣類をハンガー、フックに掛けてシャワー室に入るように」と促す。
一旦全員がシャワー室に入ると、衣類はゾンダーコマンドによってまとめられる。
もう二度と着ることがないからだ。列車で運ばれたユダヤ人の一つのグループ全員がシャワー室にはいると、入口は鍵で閉ざされる。すると、中から絶叫、悲鳴が数分間聞こえるがやがて静かになる。
その間、ゾンダーコマンドは、ハンガーの衣類を取り外し、金目のものをすべて取り出し、箱にまとめて、ナチス隊員に渡すのだった。貴金属などを隠し持とうとすると、その場で軍曹に射殺されるのだ。
列車が到着するたびにこれが繰り返されるが、シャワー室の死体の山を処理するのもゾンダーコマンドの役割で、次々に運び出し大きないれものに放り込む。まさに「モノ」扱いだった。
軍曹やその部下たちの命令が響く。
「早く”部品”を処理しろ!」(ユダヤ人一人が一個ということだ、と言うセリフもある)
「部品を燃やせ!」
字幕は出ないが、ドイツ語で”Schneller!(シュネラー:急げ)Schneller(シュネラー:急げ)!””Arbeite!(アルバイテ:働け!)” ”Weiter!(ヴァイター:もっと)”・・・など怒号が続く。
軍曹が部下に「あと何人処理が残っている?」と聞くと部下は「千人です」と答えると、「夜にはその3倍になるぞ」だった。
この映画は、画面がほとんど正方形に近い。
縦1に対して横が1.3の昔のスタンダードサイズ。画面には、主人公がアップで映るシーンが多く、背景はほとんどがピンボケの画面になっている。このピンボケの効果というのか、大量の裸の死体などがピンボケで登場するのでかえってリアル。
この映画のタイトル、サウルの息子というのは、サウルがシャワー室の中で、まだ息をしている少年を発見。その少年は、ナチスにより口を抑えられ息を引き取るが、解剖されるということになる。サウルはこれは自分の息子であると主張し、焼却せずに埋葬したいと解剖担当の医師に申し出るのだ。それは命懸けの行為だった。
医師はその”息子”を庇うと自分のいのちの危険があるので、1日だけ隠しておくという条件で受け入れる。ただし、その「代わり」は用意しておくようにというのだ。「部品」処理の報告の数が一致しないと問題になるからだ。
ゾンダーコマンドの中には、「死者(子供)のために、生存者を犠牲にするのか」といった葛藤の声も聞こえた。ある仲間は「お前には子供はいない」と諭すのだが、サウルは、子供を運び出し、埋葬することができるのか。そして、ゾンダーコマンドのなかに、死者を弔うダビを探し出すため奔走するのだが・・・。
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ゾンダーコマンドたちは、「紙は見つかったか?」「ない」という会話がある。紙やペンの所持は禁止されていた。記録に残されるからだった。しかし、戦後、アウシュビッツに関わったナチス親衛隊は、ゾンダーコマンドの残した記録によって裁かれることになったという。
映画の中で、カメラでドイツ兵に見つからないように記録として撮影する光景がある。カメラは配線管のなかに隠された。
サウルは、ほかの場所で働かされている妻に3分間だけ面会の機会が与えられる。監視役にはドイツのナチスの女隊員が監視。「接触は一切ダメ」と目を光らせるシーンもすごい。近くでちょっとした揉め事が起きて監視員が場所を離れるが、そのスキに妻が何かをサウルに手渡す。そして、わずかに握手を交わすのだが、会話は一切ない。このあたりもスリリングで命懸けだ。
監督は、観客があたかも主人公サウルの目になって、その光景を見ているような撮り方をしているようだ。まさにアウシュビッツの生々しさを体験しているような錯覚に陥る映画だった。ホロコーストの現実がいやでも頭に残る映画ではある。
すごい映画であることには変わらないが・・・。
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