スカパー!には加入していないが、無料放送だったので見た(笑)。
厳格な家に育ったサム。
実妹の証言のほか、ジェームズ・コバーンなど映画の出演者たちの声が聞かれた。
製作サイド(プロデューサー)をクビにしたり、逆に「シンシナティ・キッド」の監督をクビにされたりと、プロデューサーにとっては、”扱いにくい”監督であったようだ。
3時間で終わる撮影を、3日かけたり、製作費をコントロールしているプロデューサーにとっては、製作費がかさむなど頭が痛かったらしい(笑)。
「ワイルドバンチ」では、迫力を出すために”実弾”を使ったというから、徹底している。何度も取り直しがあるたびに、血塗られたシャツを着替えなければならない♪
2005年には、ペキンパーのドキュメンタリー映画「サム・ペキンパー 情熱と美学」が公開された。
59歳で亡くなるまで残した作品はわずか14本と少ない。
映画監督は、映画が成功しないと、次の作品が撮れないという厳しさがあった。
時代に取り残されたアウトローたちの壮絶な最後を描いた映画史に燦然と輝く傑作「ワイルドバンチ」(1968)。このストップモーション/スローモーション映像は、衝撃を与え、多くの映画に多大の影響を与えた。銃撃シーンも実戦そのもの。
2
スティーヴ・マックイーン主演の男と女の逃走劇「ゲッタウェイ」(1972)。
■「ゲッタウエイ」記事:https://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/38779739.html
シネフィルや映画製作者の間ではまさに映画の教科書・神話のような存在。
■サム・ペキンパー(Sam Peckinpah, 1925年2月21日 - 1984年12月28日):
本国アメリカではその残酷な作風から「血まみれのサム」(原文:Bloody Sam)と呼ばれた。日本では最後の西部劇監督、あるいはバイオレンス映画の巨匠として知られる。
暴力描写とそれを写し出す映像技法は映画界に留まらず、ジャンルを超えて多くの人々へ影響を与えた。 「ダンディ少佐」は、製作者とのトラブルで中止になりかけたが、主演のチャールトン・ヘストンが間に入って完成にこぎつけたという。ヘストンの力は大きかった。
■監督作品(テレビも含む):
1956年 『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』 脚本/出演
1958年 『ライフルマン』(TVシリーズ) 監督 ☆☆☆☆
1960年 『遥かなる西部』(TVシリーズ) 監督
1961年 『荒野のガンマン』 - The Deadly Companions 監督
1962年 『昼下りの決斗』 - Ride the High Country 監督 ☆☆☆
1965年 『ダンディー少佐』 - Major Dundee 監督/脚本
1966年 『昼酒』(TV映画) 監督
1969年 『ワイルドバンチ』 - The Wild Bunch 監督/脚本 ☆☆☆☆
1970年 『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』 - The Ballad of Cable Hogue
監督/製作 ☆☆☆
1971年 『わらの犬』 - Straw Dog 監督/脚本 ☆☆☆☆
1972年 『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』 - Junior Bonner 監督 ☆☆☆
1972年 『ゲッタウェイ』 - The Getaway 監督 ☆☆☆☆
1973年 『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』 - Pat Garret and Billy the Kid 監督/出演 ☆☆☆
1974年 『ガルシアの首』 - Bring Me the Head of Alfred Garcia 監督/脚本 ☆☆☆ 1976年 『キラー・エリート』 - The Killer Elite 監督
1977年 『戦争のはらわた』 - Cross of Iron 監督 ☆☆☆☆
1978年『コンボイ』 - Convoy 監督
1979年 『訪問者』 - The Visitor 出演
1983年 『バイオレント・サタデー』 - The Osterman Weekend 監督
■個人的好みによる「ベスト3」(順不同)。
(1)「ゲッタウエイ」
(2)「ワイルドバンチ」
(3)「わらの犬」
次点:「ジュニア・ボナー」
※すべて劇場鑑賞。
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