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<span itemprop="headline">訃報:モハメッド・アリ(元・ボクシング世界チャンピヨン)、死去。74歳。</span>



米NBCなど複数の米メディアによると、プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリ(改名前は、カシアス・クレイ)が3日、米アリゾナ州の病院で死去。74歳だった。

リングの外でもベトナム戦争への反対や、人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集め、20世紀の米社会を代表する人物の1人といわれている。

1942年、カシアス・クレイとして米ケンタッキー州ルイビルで生まれ。
12歳からボクシングを始め、1960年のローマ五輪で、ライトヘビー級の金メダルを獲得。自伝によると、米国へ帰国後に黒人であることを理由にレストランで食事の提供を拒まれ、川に投げ捨てたという。


プロ転向後の1964年にヘビー級王者に挑戦。
前評判では不利とされたが「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という有名な言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。

同じころ、黒人指導者のマルコムXらの影響を受けてイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めた。

プロとして無敗のままだった1967年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に米軍への入隊を拒否。王座を剝奪(はくだつ)されたが、「私とベトコンの間に争いはない」との言葉が有名となるなど、世論に影響を与えた。

1970年にライセンスを再び取得してリングに復帰。
1974年に、当時無敗の世界王者だったジョージ・フォアマンに勝利し、7年ぶりに王者に返り咲いた。1978年にレオン・スピンクスに敗れたが、同年の再対決で勝ち、3度目の王者となった。

1981年の引退後は人道的活動に力を入れ、国連の「平和大使」にも指名されたが、パーキンソン病を発症し、次第に活動が難しくなった。1996年のアトランタ五輪では、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たした。近年は体調が優れず、入院を繰り返していた。

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訃報を聞いて、まだ74歳だったという年齢に驚き、既に歴史上の人物と思っていたので、存命だったことにも驚いた。ボクシングのチャンピオンといえばモハメッド・アリという印象が強い

12歳のときに、父親から誕生日にもらった自転車が盗まれた。
自転車ドロボウが見つかったらタダじゃおかない。きっとぶちのめしてやる」と泣き叫ぶクレイに、ボクシングジムのトレーナーもしていた警官がボクシングを勧めたのがボクシングを始めたきっかけという。

映画「アリ ザ グレーテスト」(原題:The Greatest、1977)では、本人役で出演した。



今や伝説と化したボクサー、モハメッド・アリ自らの波乱に満ちた半生の伝記的作品。1960年のローマ・オリンピックで金メダルを受賞したアリが、その後マルコムXの影響の下イスラム教に改宗。ベトナム戦争の徴兵を拒否するなどの事件を経て、1974年10月ジョージ・フォアマンとの対戦でみごとKO勝ちを収め世界チャンピオンとなるまでを描いている。


日本でアリが人気を得たのは、プロレスラーのアントニオ猪木異種格闘技戦を行ったからだった。アントニオ猪木とモハメッド・アリが日本武道館で「格闘技世界一決定戦」を行ったのは1976年6月。ちょうど今から40年前のことだ。

普通は考えられないが、ボクシング対プロレスの「世紀の対決」は、試合開始のゴングとともに、猪木がリング中央にあおむけに寝ころび、立っているアリに足でキックを見舞おうとする展開。

異なるスポーツのため、やはりかみ合わず、結局、大きな見せ場もなく、15ラウンド引き分けに終わった。しかし、この対決は反響が大きく「茶番」「真剣勝負」と長く議論を呼んだ。

ご冥福をお祈りいたします。


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