ブラッド・ピットが主演で、製作にも名を連ね、アカデミー賞最右翼などといった前宣伝が派手だった「フューリー」を見た。戦車などのマニアには、空前絶後とも言うべき戦車と戦車の激しい攻防戦などが大画面に炸裂し見応えがあっただろう。
ブラッド・ピット扮する連合軍の兵士ウォーダディーは”フューリー(激怒)”と名付けられた戦車のカリスマ的な指揮官。
威厳と責任感を備えた父親的な存在のウォーダディーを中心に、フューリー乗組員5人の家族にも似た人間模様が丁寧に描かれている。極限状態における男たちの絆のドラマとアクションが融合した映画と言える。
この映画で描きたかったことは何か。
主人公のドン”ウォーダディー”コリアー(ブラッド・ピット)のセリフである「平和が理想だが、歴史は残酷だ」という言葉にあったような気がする。
ローガン・ラーマンが演じるノーマンが、余りにも過酷な戦場の現実に直面しながら、一人前の兵士へと成長していく姿を描いているとも言える。わずか一日の出来事だが、激しい葛藤や、劇的な絆を強める男たちの感情も描かれている。
新米のノーマンに対して、ベテランの兵士仲間は「青臭い正義感、良心を持った若造」と見ていたのだが、あるとき一人がノーマンを呼び「お前はいいやつだな」とそれだけ言いたかったと語るシーンがあるが、ここに救いがあったような気がする。
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タイピストとして1分間に60ワード(語)を打つ普通の若者ノーマン・エリソン(ローガン・ラーマン)が”手違い”で、第2機甲師団第66機甲連隊に配属されてきた。ノーマンは戦車の中を覗いたこともなければ、銃を持ったこともないし、まして銃で敵を撃ったなどという経験は全くない。
そんなノーマンに、ウォーダディー率いるクルーの4人は、ノーマンに銃の撃ち方や、ドイツ軍を見たら、容赦なく撃ち殺せと命令する。例え子供でも、敵であれば殺さないと殺されるというのだ。おっぱいをすっている赤ん坊も殺せという凄まじさ。ノーマン以外のクルー(4人)は北アフリカ戦役から戦ってきており、歴戦の猛者であった。
戦闘経験が無くドイツ兵を殺すのに怖じ気づくノーマン。
戦車小隊が縦列で行軍中、ノーマンはヒトラーユーゲントの少年兵を見つけるが発砲をためらったため、少年兵の攻撃によって先頭を走るパーカー中尉の戦車が破壊される。
ウォーダディーは怒り狂い、戦争の現実を「教育」するためにノーマンに捕虜のドイツ兵を射殺するよう強要する。ノーマンは、「(ドイツ兵を殺すくらいなら)自分を殺してくれ」と、拒否するが、ウォーダディーは力ずくでノーマンに銃を持たせ、彼に捕虜を射殺させてしまう。
小さな町の制圧を通じて、ノーマンとウォーダディーの絆は深まってゆく。
ウォーダディーとノーマンは民家に入り、ドイツ人女性のイルマとそのいとこエマに出会う。ノーマンは、エマと心を通わせるが、その陰には厳格なウォーダディーが初めて見せる気遣いもあった。
その後、4人で朝食を楽しもうとしたが、他のクルーが押し入って緊張を引き起こす。伝令がやってきてウォーダディー達は家を出る。その直後、ドイツ軍から砲撃を受け、その砲弾がイルマの家を直撃、エマは死亡してしまう。
道路の脇にはドイツ人の首吊りされた市民の死体が見せしめのようにぶら下げられ、「私は、戦争反対の卑怯者です」というドイツ語が書かれてあった。
エマの死やこうした様子を見てノーマンはドイツ兵に対する憎悪を燃やしてゆく。
ドイツ軍は交差点を通過して攻撃してくる可能性が高いことから、ウォーダディーの率いる戦車小隊はその交差点の保持を命じられる。
それでも「フューリー」は先に進み、交差点に到着。
交差点を監視できるポイントへ移動しようとした時、対戦車地雷を踏み、交差点上で立ち往生し走行不能となる。ウォーダディーらは戦車を降りて、周囲を警戒するが、偵察をしていたノーマンは約300名からなる武装SS大隊を発見。
彼らは歌を歌いながら行進し、その声は他のクルーも確認する。
クルーは戦車を放棄して森へ逃げることを主張するが、ウォーダディーはこれを拒否、1人で戦おうとする。初めは気が進まなかったクルーであるが、最終的には待ち伏せ攻撃を行うこと決意する。
このあたりはツッコミを入れれば、時間経過が不自然だ。
ノーマンが武装SS大隊を発見して、走って戦車に戻ってから、意見の食い違いや、戦車にドイツ人の死体を載せて、カムフラージュしたりと相当時間がかかっているはずなのに、武装SS大隊がなかなか目の前に現れない。
圧倒的な数の差にも関わらず、ウォーダディーとクルーは戦車砲及び小火器の全てを駆使してドイツ軍に多数の損害を与えるのだが・・・。
仲間が次々と死んでいく中、車内に残されたウォーダディーとノーマン。
ウォーダディーはノーマンに戦車の脱出ハッチから逃げろと話す。
ノーマンは地雷の爆発によってできた穴に隠れ、ウォーダディーは戦車の中に放り込まれた手榴弾の爆発によって戦死する。
その後ノーマンは戦車の下をのぞき込んだ若いSS兵士によって発見されるが、SS兵はノーマンをそのままにして先に進んでいった。
翌朝に到着したアメリカ軍部隊がノーマンを発見する。
ノーマンは「お前はヒーローだ」と話しかけられ、彼らの奮戦によってドイツ軍の攻勢が失敗に終わったことが暗示される。
ノーマンは後方へ輸送されていくが、戦場にはドイツ兵の多くの死体と破壊された「フューリー」が残されているのだった。唯一残った戦車「フューリー」を空から俯瞰するシーンでは、四方八方が死体の海。
映画の中盤で語られる「見ろ、これが戦争だ」というセリフが耳に残るのである。
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この映画を見ていて、戦争の愚かさ、狂気を描いているのは明らかだが、50年前にテレビ放送されていた「コンバット」を見ているような錯覚を覚えた。
アメリカ兵=善、ドイツ兵=悪、という構図だったが、戦争には善悪も、勝者も敗者もない。戦争映画を描くことで、戦争の二文字を地球上から根絶していくことに価値がありそうだ。
それにしても、爆撃の迫力たるや、とくに銃の弾道は、まるで「スター・ウォーズ」のレーザー光線のようで、映像面で驚きだった。
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