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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「北の宿から」(1976)(記事はリメイクです)</span>


都 はるみ「北の宿から」
 

 
ひろちゃんが1970年代の映画を矢継ぎ早に紹介しているので、こんなのはどうだ、という映画を引っ張ってきた。4年前に紹介しているが、コメントは、なんと一人!
(ちなみに記事はこちら:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/54230712.html
 
記事にコメントがひとりという「さびしさ」も味わっているのです(笑)。70万ヒット、コメ
 56,500までの道のりは、決して決して決して「平坦」ではなかったのです(笑)。コメント「ゼロ」というのも初期のころは多かった!
 
ということで、一部加筆して、紹介。
 
映画「北の宿から」(1976)は、田村正和(当時33歳)と中野良子(25歳)という美男・美女で、中野良子のファン(ほぼ同世代)だったので見たが、この時の田村正和は、なんとキザな、オーバーな話し方をするのかと思ったが、それ以来、何十年もあの話し方は変わっていない。

自宅に専門のヘアカットをする人がいるそうで、来年70歳を迎えるというのに、うらやましいほどのふさふさ頭は・・・やはり、お金もかかっているようです(笑)。
 
北の宿から」の映像がないので、都はるみのレコードから拝借した。
 

 
4年前に記事を書いているので、簡単にストーリーを・・・。

高宮純子(中野良子)は、常に自分の生き方を模索する現代女性。
純子は、病院の一人娘だった。
 
純子の父、高宮哲男(岡田英次)と母、伊都子(鳳八千代)は、若い医師、有坂秀司(有川博)との縁談をまとめて、跡継ぎをさせようと思っていた。
 
しかし、純子はそんな両親から逃れるため、田沢湖への旅に出たのだった。
 
純子が東畑勉(田村正和)と知り合ったのは、旅先の田沢湖であった。
純子がハンドバッグを盗まれて無一文となったところを勉は、親切にしてくれた。
警察への手配と旅館への送りをした上に、1万円を貸してくれた。
 
ところが、純子はその勉の住所を書いたメモを帰京の車中で失くしてしまった。
東京に戻った純子は、お金を返すべく、うろ覚えの記憶をたよりに懸命に勉を探し始めた。
 
新聞広告まで出したが、ついに勉は見つからなかった。
2ヵ月たったいま、純子は自分の心の中に勉に対する慕情が芽生えつつあるのを知った。
 
更に1ヵ月後、二人は偶然国立競技場の前で再開したのだ・・・。
 
勉は純子が自分のために東奔西走したことに恐縮し、その行為に言い知れぬ感動を覚えた。
 
純子もまた“星”を語る時の勉に、少年のような純粋さを感じた・・・。
まもなく、勉は純子の父に結婚を申し込んだが、その夜、父の鉄拳はようしゃなく純子の顔面を打った。
 
純子は、激しく降りしきる雨の中を夢中で家を飛び出した。
彼女は思い出の田沢湖の北の宿へ旅立った。
むろん、勉も後を追って来る手筈になっていた。
 
北の宿には、さまざまな人生を背負った女や男がいた。
その頃、勉は純子の父から、医者になって純子と結婚し、病院を継いで欲しいと説得された。北の宿に勉がやって来た。勉は医学部に入り直して医者になる決心を純子に告げた。
 
それが純子を愛することだと思った。だが、純子は勉の決心が自分のためとは分っていても、父の財力をあてにし出した勉に幻滅した。
 
二人は寒い北の宿で、夜の更けるまで話し合った。
勉は、自分が間違っていたことに強い自己嫌悪を覚えた。
翌朝、勉は一片の紙きれにただ一言、さよならと書き残して宿を出た。
 
純子は、勉への愛の未練に耐えて、田沢湖のほとりに一人淋しくたたずんでいた。
彼女の美しい瞳から、一筋の涙が流れていた。(HPより)
 
田村正和は、ニヒルさが売り物だったが、線の細いナイーブな二枚目青年として、着実に人気と実力を発揮していった。ドラマで一時代を築いたが、映画はあまり作品に恵まれなかったような・・・。
 
キャスト(役名)
田村正和 (東畑勉)
中野良子 (高宮純子)
都はるみ (すみ子)
原田美枝子 (リエ)
下絛アトム  (マー坊)
東てる美  (東畑玲子)
岡田英次  (高宮哲男)
鳳八千代 (高宮伊都子)
有川博   (有坂秀司)
北村昌子  (きぬ)
有吉ひとみ (直美)
清水理絵 (良枝)
小林亜星 (太田巡査)

 
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