「男はつらいよ」(1975)より
1955年に日活映画「緑はるかに」で銀幕デビューした
浅丘ルリ子。日活の看板女優だった。
芸能生活56年の幅広い活動が認められての受章。
「真面目にコツコツやってきたことが認められたのかな。大変うれしゅう思います」と感激の面持ち。
“転機”になったのは、映画「男はつらいよ」シリーズだという。
今回の受賞に対して、まず故・渥美清さんに向けて喜びを伝えたいという。
「寅さん、取りましたよ。」と。
寅さんに「会いたい」とも。
「男はつらいよ」には、浅丘は、三流クラブ歌手・リリーを演じ、マドンナとしてシリーズ最多となる4回の出演を果たした。渥美さんを思い「渥美さんのような素晴らしい人は、世界であの人しかいない。誰にも真似できない人」と故人を称えた。
「男はつらいよ」には、浅丘は、三流クラブ歌手・リリーを演じ、マドンナとしてシリーズ最多となる4回の出演を果たした。渥美さんを思い「渥美さんのような素晴らしい人は、世界であの人しかいない。誰にも真似できない人」と故人を称えた。
あの華奢な細い体(156センチ、35キロ!)だが、「56年間のうち、休んだのは39度6分の熱が出た1日だけ。仕事だけは真面目にやってきて、周りの誰にも迷惑をかけてこなかった」と自負する浅丘。
浅丘はこれまでに「第6回ゴールデンアロー大賞」(1968)、「キネマ旬報主演女優賞」(1975)など9個の賞を受賞し、今回が記念すべき10個目の受章となった。
出演映画:
愛情(1956年)
裏町のお転婆娘(1956年)
愉快な仲間 赤ちゃん特急(1956年)
むすめ巡礼 流れの花(1956年)
愛は降る星のかなたに(1956年)
踊る太陽 お転婆三人娘(1957年)
鷲と鷹(1957年)
17才の抵抗(1957年)
永遠に答えず(1957年)
今日のいのち(1957年)
絶唱(1958年)
禁じられた唇(1958年)
永遠に答えず 完結編(1958年)
夫婦百景(1958年)
続 夫婦百景(1958年)
南国土佐を後にして(1959年)
ギターを持った渡り鳥(1959年)
銀座旋風児(1959年)
世界を賭ける恋(1959年)
拳銃無頼帖 抜き打ちの竜(1960年)
海から来た流れ者(1960年)
拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年)
大草原の渡り鳥(1960年)
銀座旋風児 目撃者は彼奴だ(1960年)
銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる(1961年)
太平洋のかつぎ屋(1961年)
北帰行より 渡り鳥北へ帰る(1962年)
銀座の恋の物語(1962年)
憎いあンちくしょう(1962年)
危いことなら銭になる(1962年)
愛と死のかたみ(1962年)
若い人(1962年)
何か面白いことないか(1963年)
夜霧のブルース(1963年)
太平洋ひとりぼっち(1963年)
狼の王子(1963年)
霧に消えた人(1963年)
丘は花ざかり(1963年)
結婚の条件(1963年)
アカシアの雨がやむとき(1963年)
執炎(1964年)
赤いハンカチ(1964年)
夕陽の丘(1964年)
若草物語(1964年)
夜明けのうた(1965年)
泣かせるぜ(1965年)
水で書かれた物語(1965年)
二人の世界(1966年)
源氏物語(1966年)
愛の渇き(1967年)
夜霧よ今夜も有難う(1967年)
紅の流れ星(1967年)
君は恋人(1967年)
日本一の男の中の男(1967年)
狙撃(1968年)
私が棄てた女(1969年)
御用金(1969年)
栄光への5000キロ(1969年)
女体(1969年)
華やかな女豹(1969年)
待ち伏せ(1970年)
戦争と人間・第一部(1970年)
愛の化石(1970年)
告白的女優論(1971年)
嫉妬(1971年)
戦争と人間・第二部 (1971年)
愛ふたたび(1971年)
蒼ざめた日曜日(1972年)
戦争と人間・第三部 (1973年)
男はつらいよ 寅次郎相合い傘(1975年)
渚の白い家(1978年)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花(1980年)
鹿鳴館(1986年)
四十七人の刺客(1994年)
男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995年)
木曜組曲(2002年)
博士の愛した数式(2006年)
早咲きの花(2006年)
ジーン・ワルツ(2010年)
デンデラ(2011年6月25日公開予定)