なかにし礼の作詞の曲数は、約4,000曲。
発表する曲が、ことごとくミリオンセラーになった1970年ごろ。
後に発表した自伝小説「兄弟」で、兄の莫大な借金を返済するという労苦も。
ジュークボックスが流行り始めたころ、なかにしは、「敵はビートルズであり、
ローリング・ストーンズだ」と思ったという。
後に発表した自伝小説「兄弟」で、兄の莫大な借金を返済するという労苦も。
ジュークボックスが流行り始めたころ、なかにしは、「敵はビートルズであり、
ローリング・ストーンズだ」と思ったという。
ミュージックボックスで、いかに自分の曲を選ばせるか、に腐心したという。
「人形の家」(弘田三枝子)、「時には娼婦のように」(黒沢年男)、「手紙」(由紀さおり)、
「愛のさざなみ」(島倉千代子)、「ずんどこ節」(ザ・ドリフターズ)、「知りたくないの」
(菅原洋一)、「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)「北酒場」(細川たかし)など多数。
「愛のさざなみ」(島倉千代子)、「ずんどこ節」(ザ・ドリフターズ)、「知りたくないの」
(菅原洋一)、「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)「北酒場」(細川たかし)など多数。
そんなときに聞いた「りんごの歌」。
日本はどうして、明るくしていられるのか、と思ったという。
日本はどうして、明るくしていられるのか、と思ったという。
デビューしたときは、26歳だったなかにしは、この9月には、70歳を迎える。
昭和歌謡は、なかにしをぬきには語れないようだ。
主要な作詞曲
歌手別に見ても、すごい数である。
島津ゆたか
『ホテル』(1985年)
『ホテル』(1985年)
丹羽応樹
『恋路海岸』(1978年)
『恋路海岸』(1978年)
ピーター
『夜と朝のあいだに』(1969年)
『夜と朝のあいだに』(1969年)
黛ジュン
『霧のかなたに』(1967年)
『乙女の祈り』(1968年)
『天使の誘惑』(1968年、第10回日本レコード大賞受賞)
『夕月』(1968年)
『不思議な太陽』(1969年)
『雲にのりたい』(1969年)
『涙でいいの』(1969年)
『土曜の夜何かが起きる』(1969年)
『自由の女神』(1970年)
『時は流れる』(1970年)
『霧のかなたに』(1967年)
『乙女の祈り』(1968年)
『天使の誘惑』(1968年、第10回日本レコード大賞受賞)
『夕月』(1968年)
『不思議な太陽』(1969年)
『雲にのりたい』(1969年)
『涙でいいの』(1969年)
『土曜の夜何かが起きる』(1969年)
『自由の女神』(1970年)
『時は流れる』(1970年)