ブログは休眠中ですが、今回だけは「特別」の登場です。紛らわしいですが、まだ「ブログ復活」ではありません(笑)。
丹波哲郎が、肺炎で亡くなったと聞いては、黙って入られません。”自称・丹波”(ときどきドロン=笑)と一部で公言してきた手前、コメントせざるを得ません。
テレビの「三匹の侍」は、ご存知の人は少ないと思います。フジテレビで、1963年10月10日~69年3月27日まで放送されました。東京オリンピックを挟んでの放送だったわけですね。
キャストが丹波哲郎(途中で加藤剛に交代)、平幹二郎、長門勇が ”三匹”の侍に扮していました。これは、「七人の侍」を少しコミカルにして、侍モノとしてテレビ・シリーズで放映されていました。映画は、1964年公開(当時○学生で、あいにく見ていません)。
長門勇は、流行語にまでなった「おえりゃーせんのう」という口ぐせの桜京十郎で、頭ぼさぼさ、訛り言葉で人気が爆発。(頭に、しらみでもいるのか、ぼりぼりかく格好は、石坂 ”金田一”そっくりでした。)
丹波は、剣の有段者の役柄で、かっこよかったですね。このテレビ・シリーズでスターダムにのし上がったといわれています。
セリフを覚えないことで有名といわれる丹波哲郎ですが「砂の器」では、合同捜査会議の席上、長い台詞回しでした。JR(国鉄)蒲田の殺人事件の詳細説明のくだりなど・・です。
直接、目の前に丹波さんがいました。
197x年、入社間もない、私の勤務する会社の同時通訳室(今は、なくなりました)を
借りての半日におよぶ撮影があったのです。午前中3時間。映画では、わずか3分間のシーン。会場に入ってくるなり、エキストラの人たちに「やあやあ、xxx」と英語で、二言三言のあいさつ。かっこいいですね。
「ノストラダムスの大予言」という映画でした。スイス・ジュネーブの国際会議室という設定です。カーテンを閉めないと、外が東京・某所のオフィスなどが見えてしまうので締め切っていました(笑)。
国際会議の設定ですから、50人ほどの外人エキストラが、来ていましたね。
黒人、白人、アジア人などなど。そこでの丹波さんのセリフは、ほとんどなく会議の日本代表として、座っているだけで、講演者の話を真剣に聞いているという横顔だけのアップだけでした…。ガラス越しに、演技を見ていましたが、絵になる俳優ですね。
テレビでは「キーハンター」「Gメン75」などが記憶に残ります。
キーハンターでは、若き千葉真一、野際陽子らと共演。
千葉真一といえば、小学低学年の頃は、われわれ子供たちの ”大ヒーロー”でした。
「七色仮面」がかっこよかった。皆さんの親の世代かもしれません(笑)。
千葉真一は、丹波さんについて「まったく、だれかれとなく、区別なく接していた。
高倉健に対しても、”よう、健ちゃん、元気かい?"ってな調子だったそうです。
誰からも慕われたようですね。丹波に「ボス」と命名したのは、千葉真一だそうです。
「砂の器」でコンビを組んだ森田健作(現国会議員)は「あんな豪快な人は、ほかに
いない」と語っていました。
三船敏郎が世を去り、丹波哲郎もいなくなると、あとは同時代に活躍した仲代達矢くらいしかいなくなってしまったのは、一つの時代が終わったとは言えさびしい気がしました。
丹波哲郎作品では、①「軍旗はためく下に」②「砂の器」③「不毛地帯」が印象に残ります。「軍旗~」は、もう、これはすごいです。戦争の極限状態、「天皇陛下、バンザイ」と言って亡くなっていった兵士の状況が鬼気迫りました。丹波哲郎、迫真の演技とは、このことでしょう。
84歳と言っても、元気でしたので、残念ですが、仕方ないか。
参考:4月に紹介した丹波哲郎 http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/32460827.html?p=3&pm=l
俳優の一番最初に「丹波哲郎」を紹介している、その力の入れ具合をわかって、って、無理やり? (爆)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。
https://movie.blogmura.com/movie_japanese/
https://movie.blogmura.com/movie_foreign/