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<span itemprop="headline">ファミリーヒストリー「丹波義隆~父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史~」</span>


NHKファミリーヒストリー丹波義隆~父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史~」をみた。
    
9年前の2006年9月24日、84歳の生涯を閉じた昭和の大俳優・丹波哲郎の知られざる一面をうかがい知れて興味深かった。

丹波家の家系が千年以上も続く、歴史のある名門であったことも驚きだが、丹波哲郎が、学徒動員を免れた原因が「吃音」(どもり)だったことによるというのも知らなかった。部下に命令するのに、吃音では務まらないというものだった。

丹波家は、代々医学の道を切り開くなどの由緒ある家系だったが、丹波の祖父が絵の道にすすむなどで、丹波哲郎も、小さい頃から、はみ出しものと言われていたようだが、見事に俳優として歴史を残した。下積みが長く、世に出たのは30歳になってからだった。

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番組のゲストは、俳優・丹波義隆(60)。丹波哲郎の息子である。
先祖は日本最古の医学書を記し、明治時代には文豪、森鴎外と共に西欧に留学をしていた。

平安時代、日本最古の医学書を記した祖先。そして明治時代、文豪・森鴎外と共に西欧に留学をしていた曽祖父。日本の薬学のパイオニアでもある。

そして、丹波家のはみ出し者と呼ばれた父、哲郎。戦後は役者の道を選んだ。
下積みの頃の姿、母との出会い、知られざる素顔が明らかになる。

【出演】丹波義隆丹波哲郎,【語り】余貴美子大江戸よし々

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丹波哲郎を初めて知ったのは、中学生の頃放送されたテレビドラマ「三匹の侍」(第1シリーズ :1963年 - 1964年、フジテレビ) だった。



”三匹”に扮したのは、丹波哲郎平幹二朗長門勇である(第二シリーズで、丹波の役は加藤剛になった)。丹波は、クールでニヒル、剣の達人の役だった。

映画では、「007は二度死ぬ」(1967)で、ショーン・コネリーと、「五人の軍隊」では、ピーター・グレイブスと共演するなど外国映画にも出演。


           
             007は二度死ぬショーン・コネリーと共演。

日本映画では、約300本出演した中で、2本の名作をあげなれけばならない。
1本目は、「仁義なき戦い」を撮る前の深作欣二監督の「軍旗はためく下に」(1972)だ。戦争の狂気と、丹波の鬼気迫る演技に圧倒された。左幸子の名演も光る。





もう一本は、言うまでもなく「砂の器」(1974)だ。
殺人事件の捜査に対する執念と放浪の旅を続けた親子の人知れぬ行路を想像する今西警部が適役だった。




                 上は、吉村刑事と東北出張、下は、合同捜査会議。

映画ではこのほか、「御用金」「八甲田山」「不毛地帯」「柳生一族の陰謀」「二百三高地」といった大作も忘れがたい。

テレビでは、なんといっても「キーハンター」(1968年4月6日~1972年9月30日、初回放送)。千葉真一は、このドラマで一気に人気俳優の仲間入りを果たした。



Gメン'75」は、都合で当時見られなかったこともあり、「キーハンター」と比べると、なじみが薄い。

丹波哲郎が亡くなった時(2006年9月)は、ブログ開始10ヶ月位の時で、仕事の関係(失業など)で、一時ブログ休眠していた時期だったが、「丹波、逝く」と聞いては黙っていられず記事にした。

「休眠」でも黙っていられない:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/40425806.html
丹波追悼記事:



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