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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">バレンタイン監督は、なぜ弱小チームを優勝チームに変えられるのか。</span>

 ロッテのバレンタイン監督が就任すると、
それまで5位、6位に甘んじていた球団が
なぜ首位争いに加わったり、あるいは昨年のように
優勝するのか。
 
 バレンタイン監督のすごさは、どこに
あるのだろうと常々思っていました。
マスコミは「ボビー・マジック」というが・・・。
 
 そのヒントとなるような、エピソードを
たまたま読んでいたビジネス書で、少し
理解できた気がします。
 
 それによると、
 「小柄なバレンタイン監督は、選手としては
 大成しなかった。生涯記録、打率.260、12ホームラン、
 打点157というように、典型的な便利屋選手であった。
  バレンタイン監督は、「監督の顔色をうかがい、
 出番はいつか」と、ベンチで過ごした自らの
 経験から、控え選手の悲哀が肌でわかる」
  
  バレンタインは、35歳で大リーグの監督に
 就任し、「最優秀監督」にも選ばれている
 名監督である。
  ロッテには、二度目のバレンタイン監督の
 来日を心待ちにしていた選手が多かったという。
 「バレンタイン監督と戦った1995年の
 ペナントレースが忘れられない」というのは、
 小宮山や初芝などの選手。
  
  黒木投手も、バレンタインに見出された一人で
 「バレンタインは、自分が負けても、負けても、
 使い続けてくれた。それが、その後のエースの
 座へとつながった」といい、バレンタイン監督
 復帰が決まったときには「その恩返しをしたい」
 と喜びを隠さなかったという。

  日本での二度目の監督に就任したバレンタインは、
 ある日、ワインの入った紙袋を持って、
 グラウンドに現れた。
  その日は、初芝選手の37歳の誕生日だった。
 その監督の粋な計らいに選手は燃えたのだ。(そりゃあ
 感激しますね!)
  バレンタインは、一流の野球選手ではなかったが、
 人の心がわかる監督として、成功した。」
  そんな内容でした。
 (そこまで、選手の一人ひとりについて
 考えてくれる監督(リーダー)だったら、
 一般の会社でも、よしがんばるぞ、と
 なるだろうと、思いましたね。)

  バレンタイン監督にまつわるエピソードとして、
 1995年の1年だけで、当時のGMと衝突したとして、
 解雇されたわけですが、日本での報道などは、
 事実と違うということを、その後も堂々と
 語っていたといいます。
  正しいことは正しい、間違ったことは、 
 間違いと筋を通す姿勢も(当たり前のことなのですが
 あいまいにしない)筋が通っていると思いました。