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【コーヒーブレイク】ローカルな話題=埼玉県産の全国区は「渋沢栄一」「深谷ネギ」「草加せんべい」?。

 

実は、深谷ネギの主力生産地のど真ん中にいたfpd!

埼玉県産で比較的全国で知られているものといえば「渋沢栄一」「草加せんべい」と「深谷ネギ」がある。このうち「深谷ネギ」は、明治・大正時代から、埼玉県北部ではネギの栽培はあったようだ。

だが、一躍有名になったのは戦後以降で、実はfpdの両親は、戦後まもなくの昭和24年頃結婚して以来、3反(600坪:1坪は畳2枚)ほどの狭い畑だったが、ネギ農家から出発した。fpdが中学生くらいまではネギを生産出荷していた。

 

小学生当時は、fpd家では畑で取れたねぎを出荷するのに、泥ネギの「皮むき」専門に、近所のおばちゃんたちを10数人も使っていたことがあった。

豊里村(旧八基村、のちに現在の深谷市に吸収)の中の(あざ)には27軒ほどの家があり、半分以上の家の奥さん方がfpd家のネギの皮むきを手伝っていたことになる。おそらく1本の皮むきの手間賃は0.5円(現在の換算で言えば10円くらいか)程度だったと記憶している。

今では、泥のついたままのネギが出荷されることも多いが、ネギの皮むきが終わった後、父親や、親戚の甥などが出荷用にネギを束ねる作業を行って、「中瀬(なかぜ)市場=青果出荷連合会」(現在の農協)に出荷していた。

   

渋沢栄一の実家が「血洗島(ちあらいじま)」というところで、埼玉県北部では、かつて利根川の氾濫が度々起こった。

深谷市内にある「西島」「内ヶ島」「血洗島」などの「島」がつく地名は、この辺り一帯の利根川南岸氾濫原にある四瀬・八島の四つの瀬、八つの島に由来する。中瀬(なかぜ)、横瀬(よこぜ)、内ヶ島(うちがしま)・西島(にしじま)などがある。

血洗島(ちあらいじま)の地名の呼称が変わり、現在では私の実家と同じ「深谷市下手計(しもてばか)」となっている。渋沢栄一記念館まで歩いても数百メートルだ。

幾度の川の氾濫によりこの地域には肥沃(ひよく)な土壌が形成された。この沃土は粘質が高く硬いのが特徴。

また、水はけが良くネギを育てるためには最適な土壌となった。

深谷市における深谷ねぎの中心的生産地は北部(利根川・小山川流域)と中南部(櫛挽=くしびき=台地)の二つに分かれている。

中でも、深谷市北部の深谷ねぎは特に美味とされる。白い部分が長いのが特徴。深谷市中南部もネギの産地であり、北部に匹敵する量のネギが栽培されている。

こうしたことを考えると、深谷ネギが発展してきた戦後の中で、我が家も深谷ネギの発展に貢献してきたことを誇りに思う!(笑)。

旬である冬には「深谷ねぎまつり」が瀧宮(たきのみや)神社で開かれている。
深谷市には「おねぎのマーチ」という踊りがあり、JR高崎線深谷駅の発車メロディにもなっている。

【おねぎのマーチ】

埼玉県深谷市の名産「深谷ねぎ」のイメージソングとして1998年につくられた曲。2006年4月1日からJR深谷駅発車メロディーに使用されている。

2004年に旧・深谷市議会で「発車メロディーにしてみてはどうか」という話が出たことがきっかけで実現。曲を知っているのは深谷市民ぐらいだが、それでも同市制作推進課は「駅の利用者が『この曲はなんだ?』と思ってくれるだけでも宣伝になる」(毎日新聞)とPR効果を期待しているという。

メロディーの使用は3年間を予定していたが、現在でも継続して使用されている。
ちなみに「マーチ」とは言っているが原曲は演歌であり、歌は島津亜矢(1971-)、作詞は星野哲郎(1935-2010)、作曲は平尾昌晃(1937-2017)という豪華な顔ぶれによる作品である。

www.youtube.com           ⤴ホームのバックに見える荘厳な深谷駅

一方、古代から、この地域では肥沃な土壌を用いて瓦(かわら)造りが行われていた。深谷は瓦造りでも知られていて、東京駅の駅舎は深谷の瓦が使われている。

  

              東京駅                 深谷駅

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