ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」(原題:Blowup, 1966、日本公開1967)を40数年ぶりに再見した。初回は、1970年前後に新宿の二番館でみた。
アントニオーニ作品であること、ポスターとタイトルが意味深だったのでみたような気がする(笑)。原題のBlowupとは(写真の)「引きのばし」のことで、なぜ「欲望」といったタイトルになったのかいまだにわからない。
アントニオーニ監督の作品は、言い古されているように、”愛の不毛”とか”不条理”を描いているというが、「赤い砂漠」にしてもほかの作品でも、気だるさやポッカリと空いた空虚感などが漂う映画が多い。哲学的で、芸術的な作品とも言われている。
イギリスの女優ヴァネッサ・レッドグレイブが主演で、映画としては3作目で、29歳のときの映画。ポスターのカメラマンに扮するデヴィッド・ヘミングスの被写体がレッドグレイブと勘違いしていたが、被写体は別の女優。カメラマンから写真を撮らせて欲しいと頼まれるが断っている。
ジェーン(ヴァネッサ・レッドグレイブ、右)はとにかくフィルムを取り戻したかった。
「欲望」は、再見して、現実と空想や妄想が交錯する世界を描いていることがわかるが、カメラの撮影に映し出されたのは、果たして現実なのか、カメラマンの妄想なのか・・・。
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俺に写真を撮られるのは幸せなこと、とやや傲慢なトーマス。
カメラマンのトーマス(デヴィッド・ヘミングス)は、たまたま公園でひと組の男女がじゃれあっているのを盗み撮りする。翌日、その女・ジェーン(ヴァネッサ・レッドグレイブ)がネガを寄こせといってくるのだった。
トーマスは、ジェーンのヌードを撮る事を条件に、ネガを渡すと約束するが、異様にそのネガに執着する女。おそらく女と戯れていた初老の男とは公になっては困る関係だったのだろう。そこで、女には別のネガを渡すカメラマン。
後日カメラマンはネガを現像し、写真の女が、どこか遠くを見ている姿を発見する。女の視線の先をブローアップ(原題:Blowup=引きのばし)してみると、木陰に銃を構えた人間のシルエットがあるようなのだ。女はカメラマンの存在に気づいてカメラマンめがけて近づいてきて、フィルムを買い取るというのだった。
そんな中、男の姿がいつの間にか消えて、女が探し回って、女もいなくなる。
カメラマンが追っていくと、男が横たわって死んでいたのだ。
カメラマンがフイルムを引き伸ばして、死体があったことを友人に告げるが、なかなか信じてもらえない。そこで、カメラマンは夜中に現場に行って確認しようとするが、そこには死体が存在しなかった。
写真は、本当だったのか。カメラマンが体感する現実は空虚なものなのか。
映画の冒頭と最後に、ジープに乗った十数人の「パントマイム」の役者たちが登場する。パントマイム役者は、ボールを使わないで、パントマイムでテニスに興じていた。
それを遠くから見ているカメラマン。テニスのプレイをしているパントマイム芸人の一人が、カメラマンの近くにボールが飛んでいったから、返してくれとパントマイムで要求してくる。カメラマンもそれに応えて、ボールを拾った格好をして投げ返すのだ。
カメラが映し出したのは、カメラマンの妄想が反映されていたのか、現実が交ざった白昼夢だったのか・・・。
やはり、何回見ても難解。「わからないだろう、オレの映画」と挑戦状を叩きつけているわけではないだろうが・・・。
「ライアンの娘」(1971)でビッグな女優になる前のサラ・マイルズのほか、無名時代のジェーン・バーキンなどが出演している。ヴァネッサ・レッドグレイブは、「欲望」の翌年1967年には「キャメロット」、1968年には「裸足のイサドラ」、1974年には「オリエント急行殺人事件」、最近では「大統領の執事の涙」(2013)などに出演、健在である。
かつて見た話題作、名作は再見すると、わからなかったことも分かるなど、新たな発見も多い。
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