フランスの名監督と言われたルネ・クレール監督の初のトーキー作品「巴里の屋根の下」(原題:Sous les toits de Paris、1930)を見た。助監督の中には、後の「天井桟敷の人々」(1945)で世界的に知られるマルセル・カルネもいた。
「巴里の屋根の下」は、フランスの古典的映画の傑作の1本か。
歌(音楽)で始まり、歌で終わるが、ストーリーは一人の美女をめぐって3人の男が絡む古典的な人情ラブストーリーだ。
主演はアルベール・プレジャン(「ヴェルダン 歴史の幻想」)、魅力的な美女を演じる新進のポーラ・イレリのほか、ガストン・モド(「カルメン(1926)」「東洋の秘密」)、エドモンド・グレヴィル、ビル・ボケッツ、ポール・オリヴィエなどが出演。
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パリの住居の屋根が映し出される。煙突から煙も見える。
場末の裏町にアルベール(アルベール・プレジャン)とルイ(エドモン・T・グレヴィル)という二人の若者が住んでいる。アルベールは歌をうたって歌譜を売るのが商売だ。一方のルイは露店商人だった。
アルベールは、歌譜を一枚1フランで売って、集まった人達と一緒に合唱を行うのだ。老若男女がいたが、アルベールの歌唱指導もあって、元気な明るい歌声が響き渡る。
歌が終わると、集まった人々は、それぞれ自宅に戻ってからも、歌詞が頭から離れない。5、6階建てのアパートでは、どのフロアの住人も、同じ歌を口ずさんでいた。年配の女性も、化粧をしながら「♪年は20歳。花咲き乱れる春。愛し合うには絶好の時。澄んだ空気 真っ青な空。イヤと言いつつ身をゆだねる二二♪」と歌っている。
その声を聞いた上の階の年配の男は「うるさい」と耳を押さえたが、我慢できずに、棒で床をどんどんと叩き、歌をやめるように迫ったが・・・。
あの娘、可愛いな。
アルベールとルイの二人は、いつも連立っているので美しいルーマニア出身の娘・ポーラ(ポーラ・イレリ)に逢った時も一緒だった。
そこで彼らは彼女に挨拶をする者をサイコロで決めるのだった。
しかしその間に界隈の不良の親分フレッドが彼女をカフェに誘い入れてしまう。翌日アルベールは歌を売っていて聴衆の中にポーラを見出して近づきになるがフレッドが出現したので手をひく。
フレッドはポーラを口説きにかかると、彼女はフレッドの荒っぽさに心を惹かれ、晩にはダンスへ行くことを承諾する。その夜、バル・ミュゼットでアルベールとルイとは彼女がフレッドと踊っているのを見て失望すのだが・・・。
いつしかポーラもアルベールの歌譜を皆に配って。
アルベールは「歌譜を買うと、美女の笑顔が付いてくる」
とアピールすることに。
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ラストの歌詞も、今聴いても、80年以上前とは思えないような、納得できるような内容だ。こんな歌詞だ。
「♪男の一人暮らしは わびしいばかり。 昼になっても 食欲もわかず レストランでは味気ない早食い コーヒーばかりじゃ 体がもたない だけど可愛い女房が一緒なら クリームのパイやら デザートづくし たまには摩訶不思議・・・♪」
「♪青年は許しを請う 僕が悪かった 許しておくれ 愛しい人よ 巴里の屋根の下 喜びあふれる二二 愛する人と 再びめぐり合えた 青年は言う 時は熟した 僕と結婚しておくれ 2人のきずなは壊れちゃいない 過去を水に流してキスしておくれ 二二が許せば 幸せが舞い降りる 巴里の屋根の下 こんな具合さ♪」といったもの。
ルネ・クレールの初のトーキー(セリフ発生)映画ということだが、部分的には、サイレントのシーンも多い。あえて身振り手振りだけのシーンにしたことで、セリフの内容を想像させてサイレント映画のいいところを見せているような気がする。
男が、女性(ポーラ)の耳元で、なにか囁いているのだが、その都度、ポーラが「ノン(いや)」「ノン(だめ)「ノン」というところなどがなかなかいい。
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ルネ・クレール監督作品というと、有名なところでは「ル・ミリオン」(1931)「自由を我等に」(1931)「巴里祭」(1932)「そして誰もいなくなった」(1945)「夜ごとの美女」(1952)「夜の騎士道」(1955)「リラの門」(1957)などがあるが、未見。「最後の億萬長者」(1934)は昨年見た。
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