「A」ランク・・・「人間の証明」「虚構の空路」「高層の死角」「鍵のかかる棺」(上・下)「暗黒流砂」「「殺意の重奏」「「幻の墓」「大都会」「密閉山脈」「霧の神話」「虹への旅券(パスポート)」「星のふるさと」「腐食の構造」…といった具合。
「B」ランク・・・「魔少年」「超高層ホテル殺人事件」「歪んだ空白」「異型の白昼」「むごく静かに殺せ」「挫折のエリート」「夢の虐殺」「黒の事件簿」など。
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森村誠一は、戦前は平均寿命は50歳といわれたが、近年では80歳となった、ということを前提として、最近の著作「老いる覚悟」について、その概要を説明していた。
それによると、人生は大きく分けて3つの時期に区分できるという。
第一期は仕込みの時代―学生時代。
第二期は現役時代―社会に参画する時代。
第三期がいわゆる老後、余生。
第二期は現役時代―社会に参画する時代。
第三期がいわゆる老後、余生。
とくに第三期について、「老後のスタートラインに立ったとき、今度は、量より質になる。ここからは『クオリティオブライフ』が求められる」「質とは時間の遣い方に無駄がないということである」。
「余生でもっとも覚悟しなければならないことは、時間を無駄にしないことである。これからの時間を、どのように有効に使うかを考えることである」。
具体的に時間をどのように使えばいいのか。森村氏はさまざまな提案をする。
「余生とはいえ、無駄な時間などない。ではどうするか。日々の予定表を作ることを勧めたい」「自分で決めた『やらなければならないこと』が明確になると、日常生活に緊張やルールが生まれる」「予定表を作ることは。後半の人生をより充実したものにしてくれる」。
「人間は往々にして年齢を理由にして新しい挑戦をしない」「しかし、わたしは自由な、そして限られた余生だからこそ自分のやりたいこと、新しいことに挑戦すべきではないかと思う」。
「未来の可能性に気づいていない人たちは、肉体が老いるとともに心も比例して老いていく。無限の可能性を追い求めていれば、肉体的には老いていくが、心は老け込まない」。
「生涯現役でいく覚悟というのは、人間関係を絶やさないということに尽きる」。
「自分は歳をとったな、年寄りになったな、と思った瞬間から老いの坂を転がりはじめる。これは止めることができる。もう一度、仕事だけでなく趣味でもいい。自分はまだまだできるな、と思い直すのである。すると、転落が止まる」。
「生涯現役でいく覚悟ができている人間を区分してはならない」。
「長寿化しつつある今日では、より一層現役時代に余生の備えをしておかなければならない」。
森村誠一はさらに、続編ともいうべき著作「五十歳でも老人 八十歳でも青年」で、リタイア後の人生を、4期に分けて考えることを提案する。
60代 シニア年少
70代 シニア年中
80代 シニア年長
である。
90代以降 スーパーシニアということになる(←生きていれば)。
「まず、60代は、まだ老人とはいえない感がある。・・・『シニア見習い』である」「リタイアしたばかりの60代前半の場合は、現役時代の尻尾を切り落とすことを忘れてはならない」「なんらかの肩書きの『長』という尻尾を持っているはずである」「しかし、いったんリタイアしたら、その『長』を切り落とさなければならない。そうしないとシニア社会に入っていけない」。
「60代くらいまでは、過去の栄光の余韻がある程度残っている。昔の仲間も、その多くがまだ元気である。ところが70代に入ると、その仲間たちが櫛の歯が欠けるようにいなくなり、人脈が細くなっていく」「こうした悪条件の克服が70代のテーマとなる」。
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この後、80代以降について、身辺整理、遺言書の準備などについて語っている。
今は、60歳のシニアになって、ぴったり仕事を辞めて、完全リタイヤする人は少なくなっているようだ。ましてや、これから年金の受給が遅くなることになるので、65歳までは働くというのが、流れになるのか。
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元気なうちは、仕事をするとか、ボランティアに参加するとか、趣味のサークルや、スポーツ・運動をするとか、目標を決めることが重要のようだ。
60歳から、まだ残りの人生が平均で20年あるということを考えると、20年間で何をするか目標が有る無しで大きく変わってくる。「シニア年少」か、いい言葉だ(笑)。
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郷ひろみは、30歳くらいの時から、自分は「50代」で、自身をピークに持っていくと語っていたが、確かに、58歳で、まだまだ衰えを感じさせず芸能界で一定の存在感を示している。そして今は、「自身のピークは60代」として、郷ひろみを生きている。我々一般人とは異なるが、常に次のステージを目指しているという点で、たいしたものだ。
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