「球形の荒野」の後半は、最初の方は単調だったが、次第に状況が明らかになるにつれて俄然面白くなっていった。20年ぶりに父娘が再開を果たし、4歳のときに父が歌ってくれた歌(カラスなぜ泣くの)を「もういちど歌って」というシーンで、一緒に歌うシーンが泣かせた(笑)。
「球形の荒野」の意味は、主人公にとって、地球(球形)はどこへいってもさまよい続ける荒野のようなところだといった意味。
一体20年前に何があったのかが、描き出される推理サスペンス。
昭和19年といえば、日本が勝利を信じて戦争に突き進んでいた時代に、戦争の早期終結で平和を願う日本人の公使館員がヨーロッパにいたことを浮き彫りにする。日本の「平和」を口にすることは、当時は軍人から見れば、国賊呼ばわりだったが、人間一人の存在を無くすことで、欧州各国に対して、終戦を持ちかけた男の苦悩を描いている。自分自身は、新聞で「死亡」と告知されていたが、一度だけ日本の土を踏んで、家族の姿を確認したいため、数日間日本に滞在することになるのだが・・・。
やはりラストシーン近くでは、盛り上がりを見せた。
号泣までは行かなかったが、ハンカチが必要だった(笑)。
原作は松本清張で、清張の物語の根底は「動機」。
以前にも記事にしたことがあるが、松本清張の講演を一度だけ聞いたことがある。
JALの海外在住日本人向け恒例の著名人を招いての講演会だった。
そこで、清張はいろいろな事例を交えて「私の小説の基本は(殺人などの)動機」と強調していた。
「砂の器」では、主人公の音楽家が恩人とも言うべき元巡査を殺害したのは、相手が自分の知られたくない過去(不治の病と言われた父親の病気と生い立ち)を知る唯一の人間がその元巡査で、らい病患者となって生きている父親にしつこく会わそうとしたことだった。
自身が栄光と成功をまさに得ようとしているときに、その野望が崩れるのを恐れた保身のためであった。
いやあ、清張ものって、映画は当たり外れがありますが「砂の器」だけは、名作となりました。これは特別な思い入れ作品で、LDを持っていたので10回以上は見た。