fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「二ライカナイからの手紙」(2005)</span>

 

 
「二ライカナイからの手紙」(2005は、いまや映画にCMに大活躍の蒼井優単独主演初映画。これまで「フラガール」「百万円と苦虫女」などで、女優としての魅力を存分に発揮してきた蒼井優。その本格単独主演映画で、初期の作品をようやく見ることができた。
 
舌を噛みそうなタイトルで、あまり気にも留めていなかった映画を見ることになったのは、蒼井優ファンの人たち(ひろちゃんやalf.momさんなど)の紹介があったから。
 
映画を見て、そういうことだったのかと、最後の方では、感動に震える。
 
「二ライカナイ」というのは、おっかあ(母親)からの手紙の中に、自分はしばらく
二ライカナイに行っている、という文面がある。架空の島・地域か。
 
沖縄本島から、はるか南の八重山諸島の一つである竹富島で、父の死後、郵便局長であるオジイと2人で暮らしていた風希(蒼井優)。毎年誕生日に、東京で暮らす母(南果歩)から届く手紙は、風希を励まし、勇気づけ、彼女にとって何よりの宝物だった。
 
いつしか亡き父のカメラを手に写真の練習を始める風希。母親はなぜ家を離れているのかわからないが、7歳の時から毎年誕生日には手紙が届き、風希を励まし続けてきた。14歳の誕生日の手紙では、20歳になったら全てを話すという内容の手紙が届き、その約束を信じる風希は高校を卒業して上京する。そして20歳の誕生日がやって来る・・・(HPより)。
 
映画の舞台が沖縄で、「なんくるないさ」といったことばが出てくる。何とかなるさ、といった意味か。19歳になって、沖縄から東京に出てくる風希。カメラのプロを目指して修行のためカメラマンのアシスタントで働き始める。このカメラマンが、人使いが荒く、言葉も乱暴だが、愚痴もこぼさず、経験を積んで成長していく。
 
(以下ネタバレ)
毎年誕生日に母から届く手紙の消印は東京渋谷郵便局。
 
手紙は差出人の名前だけで、住所の記載はなし。あるとき渋谷郵便局(複数ある)の管轄の局を見つけ出し、そこの局長(前田吟)から、母の事情を知ることになる。風希が物心つくころから母親は家を出ていたが、実は母親は東京で病院生活を送っていて、余命いくばくもない状況だった。その母親の母(風希にとってはおばあさん)も母が6歳のときに亡くなっていた。
 
おっかあ(母親)は、自分が亡くなったあとも、風希が大人になるまで見守っていたいと思い、毎年誕生日に、手紙を送ると決めたのだった。それは7歳から始まり20歳まで続いた。それぞれの年齢に応じた文面を残して、励まし続けるものだった。その手紙を投かんするのに協力していたのがおじじ(おじいさん)と郵便局の局長だった。
 
14歳の誕生日おめでとう。おじいさんとけんかなんかしないでね。」「16歳の誕生日おめでとう、もうボーイフレンドができたかな。思い切って話してみて」などとつづられていた。
 
すべての事情を知った風希は、7歳の時からの手紙を振り返って読み、母親の深い愛情を感じて、涙する。カメラの腕前も上達したようで、明るい表情の風希の姿があった。
 
沖縄の特徴か、「ありがとうねぇ」で「ねぇ」を強く発音する蒼井優の話し方が印象的だ。
 
はじめて東京の仕事場の写真スタジオを、前任のアシスタントに案内されて、風希が「渋谷は近いですか」と聞いたときに、アシスタントが、絶句して言葉が出ないのが可笑しかった(笑)。羽田空港に出迎えるはずだった前任アシスタントは、都合で来られないからと電話してきて「バスで新宿へ行きそこでJRに乗り換えて・・」と行っていたので、スタジオは中央線で、新宿から23先の駅かどこかだろう。東京人なら、決して聞くことはない「渋谷はどうやっていく?」だったので、「きょとん」としたのだろう(爆)。
 
蒼井優は、幼く見える時もあるが、落ち着いて見える時もある不思議な女優だ。
CMでも、幅広く活躍している。映画の方も、また復活しているようで今年は「おとうと」「雷桜」などがある。
 
☆☆☆☆


 
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加してます:クリック♪。