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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">黒澤映画と加山雄三</span>

加山雄三が、日本経済新聞の「私の履歴書」を執筆している。

一流の人は、一流の人と友好関係があるものですね。

ビートルズとの会食、黒澤明監督との撮影秘話など、興味深い内容が多く、
毎日楽しみだ。





ビートルズの宿泊ホテルを訪ねた加山

1966年のビートルズの来日は日本中が、沸いた。

加山の祖母が「ビートルズは大変な人たちだからあったほうがいい」とすすめられ、
レコード会社から会食の打診があったのは“かぶとむし”来日のほんの数日前だったという。

加山によると、音楽で影響を受けた人たちは、エルビス・プレスリーベンチャーズ
ビートルズで、いずれも個人的に会っているという。

マルチタレントの加山雄三だが、持ち前の明るさとポジティブな考えで、一時、経営するホテルの
倒産で23億円の借金があったが10年で返済。1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯
(いまでいう、ねこまんまですね!)を食べたという苦労も味わった。

文字通り「天国と地獄」を味わったようですが、不死鳥のように蘇っていますね。

黒澤明監督の作品では、「椿三十郎」の撮影のエピソードが面白い。

撮影の合間の待ち時間のときに、眠気でついうとうとしていた加山。

助監督が注意「加山、お前寝ていたろう! 本番だぞ」
監督が飛んできた。「かやまぁ~」と低い声がとどろき、全員が凍りついたが・・・。

気づいた加山は、「やばい。これはぶん殴られるな」と覚悟したという。
黒澤監督の大目玉はしょっちゅうといわれていたが、監督は、
「かやまぁ、眠いのか?」。
加山「ハイ、眠いです。」
黒澤監督「そうか」。 
大声で「よーし、加山のために30分休憩!」「加山、外で寝て来い」
不眠不休で、撮影に取り組んでいるスタッフ、俳優をおもんばかった監督だった。
本当に、監督は怖かったらしいが、加山も冷や汗だったようです。

加山は、[履歴書]の中で、「僕の人生で“先生”と呼べるのは黒澤監督しかいない、と
書いている。





加山はその後、黒澤監督の「赤ひげ」に出演しているが、このころは、
加山は、映画「若大将シリーズ」が大ヒット。

「ぼかぁ、幸せだなぁ」のイメージが定着してしまったので、その後は
黒澤映画に使わなくなったのだろうと述懐している。


まだ、連載中で、いろいろなエピソードが、いきいき伝わってきて面白い。