一流の人は、一流の人と友好関係があるものですね。
ビートルズの宿泊ホテルを訪ねた加山
1966年のビートルズの来日は日本中が、沸いた。
マルチタレントの加山雄三だが、持ち前の明るさとポジティブな考えで、一時、経営するホテルの
倒産で23億円の借金があったが10年で返済。1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯
(いまでいう、ねこまんまですね!)を食べたという苦労も味わった。
倒産で23億円の借金があったが10年で返済。1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯
(いまでいう、ねこまんまですね!)を食べたという苦労も味わった。
撮影の合間の待ち時間のときに、眠気でついうとうとしていた加山。
助監督が注意「加山、お前寝ていたろう! 本番だぞ」
監督が飛んできた。「かやまぁ~」と低い声がとどろき、全員が凍りついたが・・・。
監督が飛んできた。「かやまぁ~」と低い声がとどろき、全員が凍りついたが・・・。
気づいた加山は、「やばい。これはぶん殴られるな」と覚悟したという。
黒澤監督の大目玉はしょっちゅうといわれていたが、監督は、
「かやまぁ、眠いのか?」。
加山「ハイ、眠いです。」
黒澤監督「そうか」。
大声で「よーし、加山のために30分休憩!」「加山、外で寝て来い」
不眠不休で、撮影に取り組んでいるスタッフ、俳優をおもんばかった監督だった。
本当に、監督は怖かったらしいが、加山も冷や汗だったようです。
黒澤監督の大目玉はしょっちゅうといわれていたが、監督は、
「かやまぁ、眠いのか?」。
加山「ハイ、眠いです。」
黒澤監督「そうか」。
大声で「よーし、加山のために30分休憩!」「加山、外で寝て来い」
不眠不休で、撮影に取り組んでいるスタッフ、俳優をおもんばかった監督だった。
本当に、監督は怖かったらしいが、加山も冷や汗だったようです。
加山は、[履歴書]の中で、「僕の人生で“先生”と呼べるのは黒澤監督しかいない、と
書いている。
書いている。
「ぼかぁ、幸せだなぁ」のイメージが定着してしまったので、その後は
黒澤映画に使わなくなったのだろうと述懐している。
黒澤映画に使わなくなったのだろうと述懐している。
まだ、連載中で、いろいろなエピソードが、いきいき伝わってきて面白い。