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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">⑧映画「愛の流刑地」</span>



 「愛の流刑地」を見た。
 
 確かに ”官能的”場面は多いが、相当問題を投げかけている映画だ。
 殺人の動機、裁判のあり方、人間の愛情の奥底、心理などがあって、映画の受け手
 (観客)の恋愛に対する考え(主人公の小説家、村尾の叫び=ひとを死ぬほど好きになったことが
 ありますか!=その経験の有無)などによって、捉え方も違ってくると思った。
 
 村尾菊治(豊川悦史)は、不倫関係にあった入江冬香(寺島しのぶ)をベットの上で首を
 しめて殺した。冬香が何度も望んできた願いを、冬香のために実行したのだ。

 この映画のキーワードともなっているのが「私は選ばれた殺人者だ」
 「自分たちの愛は、法では裁けないし、裁判にかけること自体が間違いだ」と主張する村尾。

 豊川、寺島の二人は、スクリーン上とはいえ、リアルで熱演だった。
 寺島は、貞淑かついまどき古風ないでたちで登場するものの、「目覚めてから」オンナを演じて
 右に出るものなし、エスカレート(「私って、初めて会った時の印象と違って見えるでしょうね」
 というせりふ)ぶり、その変貌はさすが・・・。決して、美人ではないが、色っぽさは、匂いたつ。
 個人的には、秋吉久美子のほうが・・・(爆)。

 非難も集中しているような長谷川京子ハセキョー)検事の衣装。水商売のおねえさんか。
 それと、意図的なのか、大げさな台詞回し。裁判を担当して、調べるうちに冬香という「女」への
 嫉妬心がめらめら。恋人の同僚にも、「冬香並みのエクスタシー」を求めようとするのだが。
 
 映画のシーンでは、男女の営みのシーンが多いが、細かいシーンで、かなり凝っている。
 ひとつは、ガラスによる反射シーンを多用していること。
 刑務所での弁護士との接見シーン。犯人、村尾を映すが、終始弁護士のガラス越しの表情を
 映し出している。これは、「天国と地獄」のなかで、犯人に面会にきた被害者社長(三船敏郎
 に対して犯人(山崎努)の表情が、ガラスに反射して映るシーンなどと共通だ。
 また、行きつけのバーのカウンターでは、カウンター越しの鏡に常に、村尾の表情などが
 交互に映し出されていた。
 
 二人の主演が適役。女性誌アンケートなどで、”抱かれたい男No.1”に常にランクされる
 豊川悦史と、”脱ぎっぷり”では、当代一で、国内では、秋吉久美子(「透光の樹」)、国外
 (米国)では、ジュリアン・ムーア(「ことの終わり」)などが、全身をさらけ出して、女優根性を
 見せつけている。

 さて、原作は、日経新聞に連載されていた。たまに、ちらりと読んでいたが、相変わらず、渡辺淳一
 の想像力をかきたてる筆致は、ひきつけた。 渡辺淳一によると、純愛ブームだが、肉体関係がなく、
 精神的なつながりだけの愛が純粋だと思いこむとしたら、未熟な幼稚愛だという。「精神と肉体と
 両方がつながり密着し、心身ともに狂おしく燃えてこそ、愛は純化され、至上のものとなる」と渡辺
 先生のご意見。

 “選ばれた殺人者”:最後に何回か出てくる言葉だが、これがテーマだったのか。その殺人者の娘も、
 父親を信じ「女は、殺してくれる愛人がほしかっただけだったんだ」と訴える。女(寺島しのぶ)は、
 愛する男(豊川悦史)に行為の絶頂で殺されて本望かもしれないが、男は、そのために8年間の実刑
 を受けることに。割に合わない気がしないでもない(笑)。自分は死んでも、男を独り占めにしたい
 という願望か。(「阿部定」か。)
 
 10年前の失楽園」の社会的現象と比べると「愛ルケ」の話題はやや劣るような印象。それでも、
 豊川悦史と寺島しのぶの二人の演技は、圧巻で、公開時期の関係で、日本アカデミー賞は、来年の
 対象となるが、主演男・女優賞を獲得しても不思議ではないほど、熱が入っている。寺島しのぶは、
 「東京タワー」では、主演の黒木瞳もかすむほどの体当たり演技で、驚かされた。
 今回、登場する役者は、豪華。「えっ、高島礼子をこんな使い方でいいのか」(笑)。

 fpdの半分勘違い(爆):「愛の流刑地(るけいち)」で「愛ルケ」(最初、「あいの’りゅうけい
 ち’」 で、「愛ルケ」が結びつかなくて・・・(うそのような、怖い話)。