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【訃報】仏俳優・ジャン・ポール・ベルモンド(「勝手にしやがれ」「ボルサリーノ」)死去。88歳。

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フランスからまた一人名優がこの世を去った。訃報を知ったときは、さすがに、ついにこの日が来たかという驚きだった。

戦後のフランス映画界を代表するスター俳優の一人だったジャン・ポール・ベルモンドが死去した。88歳。家族が6日、発表した。 

映画は80作品に出演。コメディーからスリラーまで多岐にわたるジャンルをこなして、誰もが知る俳優となった。フランスではアラン・ドロンと人気を二分する俳優だった。1933年4月9日、パリ郊外の高級住宅地ヌイイシュルセーヌ生まれ。10代の頃はサッカーやボクシングに熱中し、ボクサーを夢見たこともあった。

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1959年、クロード・シャブロル監督の「二重の鍵」に出演で注目され、同じ年、仏映画運動「ヌーベルバーグ」の担い手として、ジャンリュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」などで最初に名をはせた。

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1965年に「カトマンズの男」に出演。同年再びゴダールの「気狂いピエロ」に主演するが、以後は商業主義を嫌ったゴダールと袂(たもと)を分かった。「リオの男」などアクション映画に多数出演した。

1969年にアラン・ドロンからの申し込みを受けて、初めての本格的な共演映画「ボルサリーノ」に出演。

1972年、自らのプロダクションであるセリト・プロダクションを創立し、1974年の「薔薇のスタビスキー」から本格的な映画製作に乗り出した。なおこの年、ベルモンドの映画出演料はアラン・ドロンルイ・ド・フュネスを抜いて、フランスでトップに躍り出た。日本ではアラン・ドロンの人気が圧倒したが、フランスではドロンを凌ぐ人気とも言われた。

1970年代に出演したスパイコメディー映画「おかしなおかしな大冒険」の原題にちなんで「ル・マニフィック(偉大な人)」とも呼ばれていた。エマニュエル・マクロン仏大統領は訃報を受け「彼は今後もずっとル・マニフィックであり続ける」とツイッターに投稿。ベルモンドを「国宝」と呼び「私たちは皆、彼の姿に自分を重ねた」と述べた。  

同じくフランスを代表する俳優で、ベルモンドの友人でありライバルだったアラン・ドロンは、訃報に「完全に打ちのめされた」と最大級の悲しみを表している。

ドロンとは長年のライバルであり友人でもあったが、1998年に60代になってからアラン・ドロンと再共演した「ハーフ・ア・チャンス」を残したのは貴重。

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「D'un film à l'autre」 (2011、日本未公開)という「男と女」「パリのめぐり逢い」などフランス映画の名シーンをつなぎ合わせたドキュメンタリー映画が遺作となった。

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印象に残るベルモンド作品は「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「ボルサリーノ」「カトマンズの男」「ラ・スクムーン」「オー!」など。 

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アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドが、全面広告で登場したときは驚いた。2018年、新年恒例の「宝島社」の新聞広告だ。見開き2ページの右側では、ドロンがベルモンドの肩に手をまわした写真。左面には「世界は、日本を待っている。」というメッセージ。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の3大新聞の1月5日の朝刊を飾った。当時、ドロン82歳、ベルモンド84歳。往年の青春スターも歳をとった印象だったが、風格と重厚さがにじみ出ていた。

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ご冥福を祈ります。