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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ミツバチのささやき」(1973,スペイン)を見る。

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スペイン映画「ミツバチのささやき」(原題:The Spirit of the Beehive、1973)を見た。精霊の存在を信じる幼い少女アナはその大きな瞳でじっとこの世界を見つめている。少女の目線で内戦終結直後のスペインの農村部を静かに描いたビクトル・エリセ監督の長編映画第1作目。

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1940年頃、スペイン・カスティーリャのオユエロス村。6歳の少女アナと姉のイザベルは養蜂場を営む父フェルナンドと母テレサと比較的裕福に暮らしている。

今日は村の公民館に映画がくる日だ。大人も子供も椅子を持参して集まる中「フランケンシュタイン」(1931)が上映される。アナとイザベルも食い入るようにスクリーンを見つめる。

しかし、姉妹の両親の姿はない。フェルナンドはどこか世捨て人のようで孤独に蜂の生態を調べており、テレサは昔の恋人のことばかり想い、届くかどうかもわからない手紙を書き続けている。テレサは手紙の中で“人生を本当に感じる力も消えた”と昔の恋人に語りかけていた。

映画を見終えたアナは“なぜ怪物は少女を殺し、そして怪物も殺されたの?”と姉のイサベルに尋ねる。イサベルは“あれは映画だから2人は本当には死んでいない”と答え、自分はあの怪物に会ったことがあると嘘をつく。

怪物は精霊だから目には見えないが友達になればいつでも話ができるのだ、目を閉じて“私はアナです”と話しかければいいと妹をからかう。幼いアナはその話を本気で信じ込むのだった・・・。

アナは、空想の世界で、フランケンシュタインに出会うが、アナはフランケンシュタインに対して、畏怖の念を抱かずに普通に接し、花ビラを摘んで、フランケンシュタインに渡し、一緒に湖に浮かべたりする。

 

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この映画は、現実と空想の世界が交錯していて、一度だけこの映画を見て、すんなりとは理解しがたい。当時のスペインの複雑な時代背景が重ねられているなどの象徴(隠喩的表現)だという見方もあるようだ。アナは、純粋無垢で、母親テレサに精霊の存在を聞くシーンがある。「精霊には、いい精霊と悪い精霊がいる」と答えるテレサテレサは、アナがいい子であればいい精霊がいると、アナを抱き寄せる。

一方で、アナの姉イザベルは、性格がアナと違って、アナを言葉巧みに騙したりする。黒猫の首を締め上げて、猫に噛まれた指から出た血を口紅のように自分の口へ塗るのだ。森の中で父フェルナンドが「いいキノコと悪いキノコの見分け方」を娘たちに教えるシーンもあったが、そんなことが伏線になっていて、アナは、物事のいい面と悪い面を自分自身で見極めようとしているようにも受け取れる。

ミツバチのささやき」のささやきは、幼い姉妹の秘密の会話のささやきにも通じるかも知れない。主人公のアナのキラキラした瞳がかわいい。色々と考えさせられる映画だが、アナの目線でとらえていくとこの映画の魅力も景色も違って見えるようだ。

 

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このブログでの「子供が印象的な映画」投票(3月に実施)で17位タイ。あきりんさんは「ミツバチのささやき」に5点を献上し「私がアナよ、の言葉が忘れられない美しい映画。」と高い評価。ギドラさん20本の中の1本に選んでいる。

「私がアナよ」のセリフは映画「フランケンシュタイン」の中で登場するが「ミツバチのささやき」の中でもアナが話す印象的なセリフ。