fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

★「昔の道具とくらし展」(さいたま市立博物館)見学。

 
地元のさいたま市立博物館で「昔の道具とくらし展」というのを開催していたので覗いてみた。特に70年前と50年前の道具や生活用品などが展示されていた。
 
 
                約70年前の終戦直後の茶の間
          折りたたみ式のちゃぶ台で、食後はたたんで隅に置いた。
   50年前(1960年代後半)になると折りたたみテーブルも少しモダン?
 
昭和20年代~30年代前半頃は、紙芝居のおじさんがやってきた。
水飴(みずあめ)を買った子供だけに見せると言っていたが、自由に見ていた。
 
        自転車の後ろに「紙芝居箱」を取り付けて、どこからかやってきた。
               写真にあるような光景はよく見られた。
 
戦後一番大きな変化は、電気製品の普及だったろう。
戦前から戦後まもなくの頃は洗濯機はなく、洗濯といえば、たらいと洗濯板で親の世代はゴシゴシと洗っていた(ようだ)。
 

 
子供の頃、ガリガリに痩せた子供がいると、肋骨(あばらぼね)が洗濯板ににているので、”洗濯板のようだ”といったものだ。
 
やがて洗濯機が普及。といっても、50-60年前は、まだ機械式(ハンドル式)だった。
 
 
全自動ではなく、手前のハンドルで絞るものだった。
冷蔵庫も枠は木で出来ていて、箱という印象。
 
1960年代に入るとテレビが普及。
チャンネルはダイヤル式で、真空管方式だった。トリニトロンなどの薄型テレビが登場するまでは、大きな家具のような存在だった。
 
60年代後半~70年代は「3C時代」に突入。
Car (カー)、クーラー(エアコン)、カラーテレビだ。
 
             どっしりとしたテレビだった。
 
映画「Always三丁目の夕日」の子供たちの世代と同世代なので、昭和30年代は、遊びといえば、メンコ(埼玉県では、メンチといった)、ベーゴマ、草野球、川での水泳、川での魚とり、ドッジボール、フラフープ、凧揚げ、カルタ、月光仮面ごっこ、などだった。
 
 
学校給食の変化も面白い。
 
         明治22年の給食(塩をつけたおにぎり2個と鮭)。
       昭和27年の給食(コッペパン脱脂粉乳、ジャムなど)
           昭和48年の給食(カレーライス)
       昭和58年の給食(ツイストパン、グラタン、サラダなど)
 
昔の弁当(昭和30年代)は、「日の丸弁当」で、真ん中に梅干が入っていた♪
 
 
ミシンといえば「SINGER」ミシンが知られていた。ほかにもジャノメ・ミシン、ブラザーミシンなどがあったようだ。
 
 
お金も、小銭、札が変化してきた。昔は千円も1万円札も聖徳太子だったが、今は見られない。
 


今は「福沢諭吉」が1万円札、樋口一葉
五千円札、千円は野口英世だ。
 
fpdの財布は、野口さんばかりで、福沢さんがなかなか寄り付かないようだ。
それはともかく、二千円札はほんの一時期現れただけで、全く姿を消した。あれはなんだったのか。今から思うと、中途半端な気がする。
 

炭で火をおこして、火鉢で土瓶で湯を沸かしたり、風呂の湯を沸かしたりしたのも今は遠い昔のことだ。
 
”昭和はますます遠くなりにけり。”
 
           馴染みのあるダイヤル式電話だが、今の子供は使えないらしい。
 

映画「ダイヤル’M’を廻せ」といってもピンと来ないのも仕方がない。
 
スマホで、人さし指で、スイっとタッチすればいい。逆にスマホで電話のかけ方がわからない?(笑)。
 
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。