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<span itemprop="headline">★上野・アメ横で「パンダ商戦」がスタート。</span>




ジャイアントパンダ(赤ちゃんパンダ)の名前がシャンシャン(香香)と決まり、きょうは通過駅でもあるので上野に立ち寄ってみた。

上野公園口が賑わっていたのは、26日から始まった「運慶」展の見学客などのようだ。日本で最も著名な仏師と言われる運慶だが、そういえば今朝のテレビでも紹介されていた。













上野駅から御徒町(おかちまち)駅までに並ぶ”アメ横”では、早くも、パンダにあやかったお菓子などが販売されていた。大手家電量販店のヨドバシカメラ上野店では、ビルの横にパンダの絵があった。どこもかしこも、”客寄せパンダ”で溢れている。

■ちなみに「アメ横」とは・・・。
在のアメ横の原型は、終戦直後、現在のJR山手線上野駅御徒町駅間に多数のバラック店舗が軒をつらねた簡易マーケットが建設されたところにさかのぼ。食料難の時代であり、砂糖なども不足していた。
 
1947年(昭和22年後半になると、サッカリンという砂糖に代わる甘味料を原料としたアメ菓子や芋アメマーケットで売り出され大ヒット。周辺にあった商店の次々とアメ菓子をうるようになり、その数は、300軒近くにのぼった
 
アメ一色の街はたちまち評判となって、上野駅を起点とする沿線(遠くは、北海道、青森など)から連日買出しの人たちで賑わいを見せた。
 
そして、いつしか、アメ屋横丁と呼ばれ親しまれるようなた。
1950年(昭和25年以降になると、朝鮮戦争の勃発の影響もあり、駐留米軍などからアメリカ物資がマーケットに大量に流れ込んできた。このころはアメリカ横丁と呼ばれていた。
 
芋アメのアメアメリカ物資のアメが重なりアメ横というネーミングの由来となた。
 
1955年(昭和30年代後半になると、米軍の放出品などをあつかっていた業者が直接海外買い付け、輸入しはじめ様々な輸入商品が並び始めた。
 
昭和後半になると上野駅京成百貨店跡に丸井が出店。この頃になると、アメ横も2代目へと代替わりが始まり本物志向(価値あるものを安く)が多くなり、若者向けファッションやスポーツ、ゴルフの街として人気を博した。ゴルフ用品の二木ゴルフなどが有名だ。大手ドラッグストア(コクミン、マツモトキヨシ)などの出店で薬の街としても存在を高めてい

12月中旬以降は、シャンシャンの一般公開で、上野は相当混雑が予想される。
1972年に初めて、上野動物園にパンダが登場したときは、大ブームを巻き起こし入場を待つ見学客の行列は2キロもできたほどだった。今回はどうか・・・。



10月24日から「ゴッホ展」も開催されるので、「運慶展」やパンダの見学とセットでの訪問がいいかもしれない。
  
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